「ポップ」って何?
quoree - ジャンルとか関係なく「いい曲を作りましょう」という感じでやっている感覚は、個人的にはあります。
- 「いい曲」。
yuigot - 何が「いい曲」なのか、あんまり形が見えてないまま制作が進んで、最終的に「これ良かったよね」みたいな着地が多いかもしれないです。それでできた曲のカテゴリーをJポップって言い張ってるだけで。
ウ山あまね - もしかしたら、ラベリングされたくないからむしろJポップって言ってる部分もあるかも。一番広い括りとして。
phritz - そもそもJポップって既にめちゃくちゃ広いから、その懐の広さにあやかる感じはあるのかな。
- Jポップと言いつつJポップではない、という捉え方なんですか?
ウ山あまね - いや、うーん……。でも、Jポップなんじゃないですか(笑)。
hirihiri - 自分はJポップだと思ってるっすね。
Kabanagu - あと、Jポップという領域の「これありなんだ」みたいなところを拡張して、最終的に拡張したその場所もJポップになる、みたいな気持ちがあるかもしれない。
ウ山あまね - 領地を広げるみたいな。
Kabanagu - そうそう。結果的に広がってJポップになった、みたいな。自分はそういう感覚ですね。
かなり個人的な例だけど、Appleミュージックのライブラリに米津玄師と星野源しかないみたいな弟にturtle thief聴いてみろよって勧めたらドロップで目見開いてたのが印象的で、これってポップミュージックだなという思いが一層増した
広く語りかける意志
何度でも言おう。ポップの役割は果てしなく広がる無知と無関心の地平に語りかけることだ。まったく言葉の通じない他者に語りかけようとする意志だ。そのためにもっとも大切なことは、その無知と無関心の荒れ地には、必ず知性と聡明さと良心が潜んでいることを誰よりも信じること。ポップに幸あれ。
「地道に真面目にやって成果も出しているのに報われない」みたいに愚痴る人もよく見かけるけど、メッセージを届けたい人へ届けるための工夫が行き届いていなかったらやっぱ意味ないよな……(とかいうと「ポピュリズムにおもねるしかない」というシニシズムに受け取られるかもしれないけど、断じてそんなことはなく、どちらかというとアクセシビリティの話に近い)
imdkmさんのスレッズ。
コミュニケーションが行き届くための工夫を、ポピュリズムではなくアクセシビリティ的な見方で捉えていてなるほどと思う。
ポップスは思いやりである。広く語りかける意志でもある。
見たもの全てが笑い過ぎて気狂うような漫才
すると、その方が「見たもの全てが笑い過ぎて気狂うような漫才は?」と仰った。凄いことを言わはると思った。いや、そう答えるべきだと思った。やりたいこと、やるべきことの狭間で葛藤することを正当な苦悩だと信じて甘えていた。
一部の人にしか伝わらない深さを持つ高尚な作品は確かにある。解りやすく大勢の人を惹きつける作品も確かにある。しかし、作る側がそんな市場を意識するのは作品の弱点を補うための言い訳に過ぎないのかもしれない。悩むのも、割り切るのも自己弁護に過ぎないのかもしれない。
「見たもの全てが笑い過ぎて気狂うような漫才は?」という言葉には、それらを遥かに超越した響きがあった。
中学生の頃とか完全に毛嫌いしてたはずの平成後期ヒットチャートを今聴くとこっちの視聴態度に関わらず一種否応なしに気分を高揚させる働きの強さにビビる。
言ってしまえ当たり前だけど、数千万人の耳に入るからにはそれ相応のポップネス的強度(←曖昧に言葉を使うな)がある。サウンドや理論的な構成もそうだし、何よりボーカルの万人に向けた歌ってる心意気みたいなもの。巨大な資本がその一点のためだけに動かされて作られたもの特有の迫力を感じる。
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──長谷川白紙の音楽はとても複雑だったり変わった試みをしていたりしても、総合的には耳に馴染むポップミュージックになっていますよね。ポップ性というものをどう捉えていますか?
長谷川:これはまだ実験的な試論というか、かなり初期段階の思想なのであんまり言うべきではないのかもしれないけれど、わたしにとってポップというのは「基準を含んでいるもの」だと思っていて。この曲が自分にとって素晴らしいものなのかもしくは唾棄すべきものなのかっていう価値判断の材料となる指標を、その中にすでに含んでいるもの、っていうのがポップだと思っているんです。たとえそれがまだ誰にも知られていない基準であっても。
で、わたしのポップ性っていうのは、ある種、歌によって保証されているんです。わたしの曲ってすごい複雑な面もあったりして、狭義の「ポップ」、つまり一般の人に広く受け入れられる感じというよりかはアヴァンギャルドな方向だと思うんですけど、歌が入ることで「歌もの」という判断基準を持つようになって、ポップスとしての枠組みを成り立たせることができる。どんなに複雑なことをしていても、そのうえでメロディーと言葉で歌うっていうのが、わたしのポップスとしての成立条件だと思います。全員がそうというわけじゃなくて、わたしが価値基準を内在化させるために歌という要素を事あるごとに使っています。