鵜飼
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鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に「梁を作つて魚を取る者有り、天皇これを問ふ。対へて曰く、臣はこれ苞苴擔の子と、此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり」と、鵜養部のことが見え、『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。天皇の歌に「しまつとりうかひかとも」とある。また中国の史書『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として『以小環挂鸕鷀項、令入水捕魚、日得百餘頭』(小さな輪を鳥にかけ日に100匹は魚を捕る』と記されている。 鵜飼の始まりは古く、『古事記』『日本書記』に既に記されています。筑後川の鵜飼については、平城京跡から発掘された木簡より霊亀2年(716)および3年に生葉郡(現 うきは市)から鮎を貢進したという記述があり、そのころには始まっていた可能性があります。また、江戸時代に活躍した杷木の俳人篠崎兎城は「鵜の声に内庭せまし初時雨」「漁火やすかせばさらに秋の雲」と詠んでいます。 物部世真古.icon 最近の北部九州大雨被害で鵜飼いの方のニュースを見た時に何となく勘が働いて「鵜飼い」について調べてみると、神武紀から先生の比定している「吉野」「国樔」の場所がピッタリ一致することに気付いた。 此則ち吉野の国樔部らが始祖なり。水に縁ひて西に行きたまふに及びて、亦梁を作ちて取魚する者有り。~此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり この吉野(奥耶馬渓)、国樔(玖珠)から川に沿って西に行くと日田市に行き着く。この日田の名物が何と「鵜飼い」だった。奈良の吉野は鵜飼いしてるのかな?「阿太」と「日田」は似てないこともない。『隋書』倭国伝にも、 小環を以て鸕鷀の項に挂け、水に入りて魚を捕らえ令め、日に百余頭を得
とあるけど、これは筑紫側だろうから、有名な筑後川の鵜飼いかな?
日田と原鶴(朝倉市)はすぐ隣、鵜飼い文化圏がここにある。中国の使いは、その日田・朝倉の鵜飼いの風習を見て驚き、そして『隋書』倭国伝のすぐ南の阿蘇山のことを記述したのか
神武紀
此則ち吉野の国樔部らが始祖なり。水に縁ひて西に行きたまふに及びて、亦梁を作ちて取魚する者有り。~此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり
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