福原長者原遺跡
物部世真古.icon 2015年時点で福永先生と福原長者原遺跡について言及されているブログ この遺跡(福原長者原遺跡)の発掘は、九州王朝説の一派である大芝英雄の「豊前王朝説」や、~福永晋三の「筑豊倭国説」に物的な証拠を提供することとなった。~古代史学会の専門学者からは完全に無視されていたが、この発掘によって一挙に有力説に浮上した。~しかしながら、メンツを失うことを畏れる古代史学会の専門学者や、~権力に迎合する大手ダメマスコミは、この遺跡を単なる官衙跡(宮殿ではなく役所の遺跡)としており、そのためこの発掘の意義が多くの日本人には知られないままになっている。~大宰府の古代遺跡に匹敵する巨大遺跡がいわゆる豊(とよ)の地域から発掘された以上、日本古代史がいずれ書き換えられることは必至だが、それは日本古代史学会の自称権威者たちが死に絶えてからの事になる。それはシュリーマンのトロイア遺跡の発掘成果が~認められなかったのと同じ現象だ。