狭穂彦王
狭穂彦王 - Wikipedia
(さほひこのみこ、生年不詳 -
垂仁天皇5年
10月没)とは、記紀における皇族(王族)。『日本書紀』では狭穂彦王、『古事記』では
沙本毘古王
。
彦坐王
の子で、
開化天皇
の孫に当たる。
日下部連
・
甲斐国造
の祖。母は
春日建国勝戸売
の娘、
沙本之大闇見戸売
。同母の兄弟に
葛野別
・
近淡海蚊野別
の祖
袁邪本王
、
若狭耳別
の祖
室毘古王
、
垂仁天皇
皇后
狭穂姫命
がいる。
垂仁天皇5年
に妹の狭穂姫命に天皇暗殺を試みさせるが失敗。
叛乱
を興すものの、追い詰められ兄妹ともに
稲城
の中で自殺する。この「狭穂彦王の叛乱」は、『古事記』における最も物語性の高い記述とされる。