燕国
倭との関係
『山海経』海内北経に、「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。」という一節がある。蓋国の位置について述べた文であるが、蓋国についてはいろいろな説があるため、ここでいう倭の位置については確定しない。また「属する」の意味も、普通に倭は燕の属国だったという一般的な解釈と、十二分野説での燕分に属するの意味とする説とがある。いずれにしろ、『山海経』の中でも海内北経は紀元前後の成立と推定されており、倭に関する最古の記録の一つであることに違いはない。 「倭の位置は確定しない」(笑)
東鯷国の出現(前漢代の東鯷国)『漢書』(紀元一〇〇年前後の成立)に日本列島上の種族と国が、二種記録してある。 呉地「会稽海外、東鯷人有り。分かれて二十余国を為す。歳時を以って来り献見すと云う。」 燕地「楽浪海中、倭人有り。分かれて百余国を為す。歳時を以って来り献見すと云う。」