泌泉
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泌川の上流には、糸田町の地名の起こりとされている伝説の「泌泉」があります。田川市との境に近い水田地帯に石の鳥居と石垣をめぐらせた小さな池で、関の山一帯に降った雨水が地下の石灰岩水脈をくぐり抜けて湧出するこの泉は、古来から生活水として、またかんがい用水として1300年以上にわたってこの地域の稲作を支えてきました。また歴史的には、豊日別命や神功皇后などにまつわる伝説も残されています。しかしながら、戦後から石炭の乱掘により、泌泉の湧水量は近年減少し、そのため、平成9年度に泌泉を復活させるための事業計画に取組み、周辺の公園化も併せて行い、現在では町民の憩いの場として整備されております。福岡県神社誌には、次のような泌泉伝説か記されています。「糸田荘金村権現宮は天智天皇7年(668)年秋8月、右大臣金連公によって造営された物である。公が天皇に従い筑紫要害を巡視のおり、糸田の郷に至り、権現の示現を蒙った。鉾をもって探知したところ神泉を得、灌漑に多いに役に立った」灌漑でも泌ががり180町歩(180ヘクタール)を潤しています。泌泉は現在、鉱害によって水が止まっていますが、「いとよき田」で糸田の名称起源とも言われております。この泌泉は、平成10年6月30日に町指定史跡になっております。 【夢・クルーズ】#57 泌泉(たぎり) - YouTube
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