佐賀県
佐賀の地名は『肥前風土記』の楠の栄え説から佐嘉になったといぅ説が一般化している。佐嘉が佐賀に統一されたのは、明治2年のことで、それ以前は佐嘉の文字が多く用いられている。奈良時代、風土記が成立した8世紀には、佐嘉の地名があった。そのころの肥前国府は、佐賀市街から北数?にある佐賀市大和町久池井一帯で、国分寺、国分尼寺なども建立され、この付近が佐嘉の中心地であった。ここは川上川の扇状地帯となっていて、山麓には大小200もの古墳が分布し、縄文・弥生の遺物も豊富に出土している。『日本書紀』にみえる淀姫社(河上神社)、奈良朝寺院跡の大願寺、この付近一帯には由緒ある寺院が多い。