滴シリーズ五部作:秀歌30_嵯峨
#秀歌30 #ガイドライン
from はじめに
Ⅰ. 滴塵・照滴:無常と煩悩からの目覚め
世俗の愛と無常の苦悩を深く感じ、仏道への光を求め始めた初期の歌。
滴塵001 叢雲の晴れて三五の月影は もとより空に在りしとぞ知る
煩悩(叢雲)が晴れて、仏性(月影)は本来から自己の内にあると悟る、初期の重要な覚知。
滴塵006 菴摩羅の乳房も今や皮袋 釈迦の金言偽りぞなき(テーリーガーター265)
美や身体への執着を「皮袋」と断じ、世俗の愛から仏教の真理へと視点を転換する諦念。
滴塵007 半鐘を連打するなり君の瞳(め)に 射られし我れの心の臓かな
恋の衝撃を「半鐘」という緊急の音で表現した、世俗の情念の激しさ。
滴塵014 頬伝う涙拭う手無きものを 有りやと思ほゆ身こそ悲しき
孤独と悲哀の中で、拭う手(仏の慈悲)があるかもしれないという微かな希望を託す。
照滴003 くらぶればいずくが先ぞ わがいのち 尽くるが先か悟るが先かと
命と悟りのどちらが先かを問う、切実な求道の姿勢を象徴する核心的な歌。
照滴013 与うれば 空(くう)となりぬる 我れもそも 空しきが故 盈つる功徳ぞ
布施の功徳の本質を捉え、自己を「空」とすることで真の充足を得るという思想。
照滴026 みほとけはいづこに在します西方の 十万億土か五尺のこの身か
真理の場所を遠い「西方」ではなく「五尺のこの身」へと引き寄せる密教の観点。
露滴070 知らいでか 老いも若きも さても死ぬ 迷いても死ぬ 悟りても死ぬ
死の必然性を冷徹に突きつけ、無常を強烈に自覚させる初期の諦念を代表。
Ⅱ. 宝滴・新滴:智慧の確立と即身成仏の決意
修行の深まりにより、智慧と慈悲を体得し、「この身このまま」で悟りを開くという決意が固まる中期の歌。
宝滴004 雲霽れて月明らかに見渡せば いずくが穢土ぞ こなたかかなたか
心が清まることで、この世(穢土)がそのまま浄土に見える転換点を示している。
宝滴007 静けさの中に賑わう仏たち 一音一響 億万由旬
寂静の境地で、法界の無限の賑わいを聴く密教的な観照。
宝滴026 衆生(もろびと)の心に巣食う貪瞋痴 小なれば煩悩 大なれば悟り
煩悩が量によって悟りへと転化する「煩悩即菩提」の核心を示唆。
宝滴009 いつの日か 別れゆくかな この世とは 惜しめど術なし ただ愛しめよ
無常を受け入れた上で、今を精一杯肯定する修行者の強い姿勢。
宝滴008 言の葉は強き言霊真言ぞ 儚き契りの涙ともなる
真言の力と、世俗の言葉が持つ二面性を対比させ、言霊の重要性を説く。
新滴006 寝転んで 胸に手を当て 聴く音は 宇宙の廻る 妙なる響き
心臓の鼓動を「宇宙の響き」と一体に観じる内面への深い観照。
新滴012 水鏡前在解脱門 一顰凍人肝邦邦 一笑震宇宙殷殷 寧為菩薩不為鬼
一瞬の表情が世界を震わせるとし、菩薩の行を強く誓う決意の歌(漢詩併記)。
新滴014 百千の川も海へと注がれん 百面相も菩薩への道
煩悩(百面相)のすべてが最終的に悟りへと集約されるという包容力ある思想。
新滴038 暗闇のこの道筋に慣るるとも 光眩しき道を恐るな
迷いの状態に安住せず、困難を乗り越えて真理(光)へ向かう勇気を促す。
新滴045 五尺の身は仏の在(ま)します大曼荼 菩薩は笑い 明王は瞋る
「この身」が仏を宿す「大曼荼羅」であるという即身成仏の極致を表現。
露滴078 さらぬだに 成らで過ぎゆく浮世かな 為してみせばや この身のままに
「この身のままに」悟りを開くという、密教の「即身成仏」の精神を表明した核心的な歌。
Ⅲ. 露滴:法界との合一と大慈悲
自我を超越し、世界の全てが仏の教えであると悟り、慈悲の涙を流す究極の境地。
露滴004 み仏に片恋しけりやみ仏の 片恋しける我が身なりけり
人間の愛と仏の慈悲が表裏一体であるという悟りの本質。
露滴014 幾たびも生まれ変わらんこの穢土に 衆生の尽きる そのあしたまで
永遠に衆生を救済しようという菩薩の揺るぎない「大誓願」。
露滴018 天人も亡者も聴けよ我が声は 螺貝の如く真言唱う
時空を超えた全ての存在に対し自己の真言を響かせるという、密教行者の強烈な主体性と利他の決意を象徴。
露滴076 夏の日はまだ暑けれど暮れ行けば 影の長さに 秋ぞ忍びぬ
人生の衰えや無常の訪れを、「影の長さ」という微細かつ日常的な現象に象徴させた観照の深さが秀逸。無常は突然ではなく静かに忍び寄るという真理を詩的に捉えている。
露滴084 有難き命なりけりこの心(むね)の 鼓ぞ響く宇宙(そら)の果てまで
自己の生命の躍動が宇宙の真理と共鳴しているという法界合一の境地。
露滴088 西の方十万億土は果てもなき 遠きにありかまつ毛にありか(空海_秘鍵より)
浄土や悟りが遠い理想ではなく、自己の至近に存在するという場所の転換を、印象的な比喩で表現した優れた歌。
露滴089 蚊のまつ毛の先に止まれる焦螟の その毛の先に浄土ありけり(列子_湯問)
極小の存在に無限の世界が宿るという華厳と密教の深遠な世界観を象徴。
露滴100 雷鳴は怒りか獅子吼かその声は 如来の大慈悲子守唄なり 厳しさ(雷鳴)を慈悲の表現と捉え**、仏の愛の深さを悟る。
露滴107 虫の音は地より湧くのか天降(あまも)るか 我が心より沁み出すかな
外部の現象の全てが自己の心から生じるという「一切唯心所造」の境地。
露滴110 何故に頬を伝うる涙かな かよわきものをただ慈しむ
自己の苦を超え、衆生への「慈悲の涙」が流れる菩薩の心境。
露滴115 吾妹子が歯を立て囓るやもぎたての 赤茄子(トマト)に成りたい初夏の食卓
愛の情念が究極の自己献身へと転化するエネルギーを象徴。
菩薩は日常に帰ってくる。
この30首は、世俗の愛(滴塵)から始まり、智慧(宝滴・新滴)を経て、慈悲(露滴)へと至る求道者の心の変遷を雄弁に物語っています。