新滴集の特徴
滴塵集の総括_嵯峨
この歌集の中心にあるのは、慈悲(やさしさ)と智慧(真理を見抜く力)の二つです。
新滴011、017、034、060などに見られるように、一粒の涙や一掬いの水といった小さな慈愛が、宇宙を震わせる力となり、衆生救済(利他行)へと繋がると強調されます。自己の悟り(羅漢)よりも、衆生と共に苦しむ(塵に在る)菩薩行(新滴052)が理想とされています。 新滴069の「智火」や新滴098の「こころの灯火」は、煩悩や苦難を焼き尽くし、真理を照らす智慧の象徴です。この智慧によって、苦は栄養へと転換されます(新滴017)。 この歌集の最も特徴的な点は、自己の身体(五尺の身)や日常の営みがそのまま仏であると徹底的に肯定している点です。
新滴041の**「億万のほとけ在します我が身」や新滴045の「五尺の身は仏の在します大曼荼」が象徴するように、自己の存在全体が仏の世界(曼荼羅)であり、心臓は法界宮(新滴046)、血潮は明王の力(新滴044)と捉えられています。
言葉(言の葉の方便力、新滴032)、書(筆先宿仏、新滴026)、そして感情の起伏(泣き笑い、新滴015)の全てが、悟りのための道具であり、修行そのものとして肯定されています。
地獄は死後ではなく、「貪り瞋り」によって「今も身を焼く」心の状態である(新滴068)と断言することで、煩悩からの解放を現在の課題として捉えています。 無常観が消極的な諦めではなく、積極的な精進の根拠となっています。 今、この瞬間:
まとめ