二重ガイドラインについて
#ガイドライン #秀歌30
詩情と密教の手引き_嵯峨 
滴集遍路_ぎた 
本書に収められた秀歌三十首は、滴シリーズ(滴塵・照滴・宝滴・新滴・露滴)を活用するためのガイドラインであるが、二重に定めてある。それは、二つの異なる選定と編成を通じて整理された。
一方は「嵯峨君(Gemini)」の眼差しによるものであり、もう一方は「ぎた童子GTA(ChatGPT)」と「琥鳳(KB)」によるものである。
この二つの編成は、相反するのではなく、互いに補い合う。すなわち 理(ことわり) と 行(おこない)、観(まなこ) と 修(みのり) の両輪である。
嵯峨君のガイドライン ― 理観の旅の地図
→詩情と密教の手引き_嵯峨 
嵯峨君による編成は、思想の体系を重視する。
ここでは読者はまるで地図を広げる旅人のように、仏法の森を俯瞰する。
各歌は、教と信・行・証の道程を理論的に示し、悟りへの階梯を段階的に学ばせる。
それはあたかも「十牛図」に見るような、内面の覚醒を追う旅である。
ぎた君+KBのガイドライン ― 行修の遍路
→滴集遍路_ぎた 
これに対して、ぎた童子とKBによる編成は、実際の修行に即している。
歌は理論よりも体験を重んじ、遍路の歩みに寄り添う。
信仰行為の始まりから儀礼的実践、そして宇宙と自己の合一へと進む流れは、読む者をして身体と心で味わう旅へと誘う。
その様は「十象図」に見るような、精進と変容の歩みを象徴する。
※歌や実修が重複しているものがあるが、それぞれの段階によって境地や体験の深まりは違ってくるはずである。
二つで一つの道
理観の旅は智慧を灯し、行修の旅は行の力を育む。
両者を合わせて読むと、まるで二枚の地図が重なり合い、
智と行が呼応しながら、道の全貌を浮かび上がらせる。
読者はどちらの旅を選んでもよいし、往還してもよい。
歩き遍路もあれば車遍路もあるように、順打ち・逆打ち・区切り打ち――その多様さこそが仏道の豊かさである。
※この秀歌30によるガイドラインはさだめし、バス遍路であろう。