逢はで観る夢に現に月の影 目を閉じてこそ明らかなるらめ(ゾクチェンパとしては、刮目せんか!と言いたいw)
滴塵045
本文
要点
現代語訳
会わなくても夢の中で月影を見、目を閉じることでこそ明らかに感じられるだろう。 注釈
目を閉じてこそ明らかなるらめ:物理的な視覚を閉ざして初めて、真実が見えるのだろう。 解説
深掘り_嵯峨ほか
「夢」も「現」も、「月の影」(真理の反映)という点では本質的に同じであり、「目を閉じてこそ」、すなわち五感による錯覚を断ち切ってこそ、その真理が「明らか」になるという境地を説いています。 括弧内の注釈は、その境地への到達が遅いと感じ、「さっさと目を覚ませ(刮目せんか)」と自らを叱咤激励しているか、あるいは読者(悟りを求める者)を鼓舞している、ユーモアと求道心が入り混じった表現です。 真理は眼で見るものではないのだから、心の目で見よという意味で「眼を閉じてこそ」と言っているのだが、しかし実際の観想は目を閉じてするわけではない。半眼が基本であろう。かといって観想の方法には眼を見開いてするものもあり、ゾクチェンパとしての作者は、眼を見開く観想という意味で「刮目せよ」と言いたいのだろう。