菴摩羅の乳房も今や皮袋 釈迦の金言偽りぞなき(テーリーガーター265)
滴塵006
本文
菴摩羅の乳房も今や皮袋 釈迦の金言偽りぞなき(テーリーガーター265)
形式
#短歌
カテゴリ
#8.比喩・諷刺・諧謔・引用
ラベル
#引用 #仏 #悟り #精神 #比喩 #言葉
キーワード
#菴摩羅 #乳房 #皮袋 #釈迦 #金言 #テーリーガーター #肉体
要点
かつての官能的対象も今や虚ろ。釈迦の言葉は真実であり、変わらないことを示す。
現代語訳
菴摩羅の乳房も今ではただの皮袋に過ぎない。釈迦の言葉には偽りがないと知る。
注釈
菴摩羅:官能的対象や美女の比喩。菴摩羅はマンゴーのことだが、この場合はマンゴー園を布施した元遊女、原始仏典に登場する、非常に美しく魅力的な女性の名前。
皮袋:物質化、無常の象徴。仏教における肉体の比喩。中身が不浄なものが詰まった、もろい器としての肉体。
テーリーガーター265:パーリ仏典中の一節引用。『長老尼の歌』
解説
比喩と諷刺を通して、欲望や肉体的美の儚さを強調する一首。かつては人を惹きつけた菴摩羅の乳房も、今や単なる「皮袋」に過ぎない。この描写を通じて、世の無常と仏法の不変性を対比的に示している。テーリーガーターの引用により、仏教の教義が時空を超えて一貫する真理であることを強調しており、ユーモアを交えながらも教義的含意を深める構造となっている。
深掘り_嵯峨
滴塵005に続く「不浄観」の極致とも言える歌です。世俗で最高の美とされた「菴摩羅の乳房」さえも、時が経てば単なる皮袋に過ぎないという、無常と肉体の虚妄性を歌っています。
この歌は、美と若さへの執着という、人間にとって最も根源的な煩悩を断ち切るための、仏教徒の厳しい姿勢を示しています。引用元の『テーリーガーター』は、女性の出家者が悟りの境地を歌ったものであり、この歌が世俗の価値観からの解放を宣言していることがわかります。