新滴集の特徴
#ガイドライン
滴塵集の総括_嵯峨
『新滴集』総括:即身成仏の詩的宣言
『新滴集』は、単なる仏教和歌集という枠を超え、作者の密教的な悟りの境地、特に「即身成仏」と「煩悩即菩提」という二大真理を、詩的かつ哲学的に宣言した壮大な法門であると総括できます。
1. 根幹となる二大テーマ
慈悲と智慧の調和 (菩薩行の理想)
この歌集の中心にあるのは、慈悲(やさしさ)と智慧(真理を見抜く力)の二つです。
慈悲と利他行:
新滴011、017、034、060などに見られるように、一粒の涙や一掬いの水といった小さな慈愛が、宇宙を震わせる力となり、衆生救済(利他行)へと繋がると強調されます。自己の悟り(羅漢)よりも、衆生と共に苦しむ(塵に在る)菩薩行(新滴052)が理想とされています。
新滴011 一粒の涙の星を震わせて 菩薩の種の 花ぞ開かん
新滴017 一粒の 菩薩の種を植えければ 涙も雨ぞ 花の開かん
新滴034 降りそそぐ みめぐみ胸に あたためて 同行二人 長夜(ぢょうや)の旅路
新滴060 願わくは やさしさ溢れて智慧光り こころ楽しき世界であれよ
新滴052 澄まし顔の羅漢にあらで悲喜顰笑 塵に在りては君に寄り添う
智慧の力:
新滴069の「智火」や新滴098の「こころの灯火」は、煩悩や苦難を焼き尽くし、真理を照らす智慧の象徴です。この智慧によって、苦は栄養へと転換されます(新滴017)。
新滴069 我が身焼く 炎は熱く 燃ゆれども 智火とぞ知れば 涼しかりけり
新滴098 日の暮れて遠き道のり行くときも こころの灯火守りて進まん(史記_伍子胥列伝)
新滴017 一粒の 菩薩の種を植えければ 涙も雨ぞ 花の開かん
即身成仏と身体の肯定
この歌集の最も特徴的な点は、自己の身体(五尺の身)や日常の営みがそのまま仏であると徹底的に肯定している点です。
身体即曼荼羅:
新滴041の**「億万のほとけ在します我が身」や新滴045の「五尺の身は仏の在します大曼荼」が象徴するように、自己の存在全体が仏の世界(曼荼羅)であり、心臓は法界宮(新滴046)、血潮は明王の力(新滴044)と捉えられています。
新滴041 億万のほとけ在(ま)します我が身かな 知らず抱けり いのちの行幸(みゆき)
新滴045 五尺の身は仏の在(ま)します大曼荼 菩薩は笑い 明王は瞋る
新滴046 心の臓は 蓮(はちす)の蕾(つぼみ) ほころびて 九尊在(ま)します法界宮なり
新滴044 血潮には極微(ごくみ)の明王在(ま)しまして 五体を廻り宇宙(そら)を震わす
日常即修行:
言葉(言の葉の方便力、新滴032)、書(筆先宿仏、新滴026)、そして感情の起伏(泣き笑い、新滴015)の全てが、悟りのための道具であり、修行そのものとして肯定されています。
新滴032 我れまさに 花を咲かせん 言の葉の 方便力を もっての故に
新滴026 僧静磨墨 筆先宿仏 紙面現法 荘厳世界
新滴015 泣き笑い とらわれぬなら菩薩道 とらわるるなら修羅の道かな
2. 人生と無常へのまなざし
煩悩即菩提の積極的解釈
怒り(瞋恚、新滴021)や憎しみ(新滴065)、苦しみ(新滴068)といった煩悩を否定せず、悟りのための「種」や「栄養」として受け入れています。
新滴021 幾億劫積んだ福智を灰となす まこと怒りは わりなきぞかし(大智度論28)
新滴065 愛ゆえに やさしさ芽生え 胸いたみ 憎しみ増して まなじり裂けぬ
新滴068 地獄とは この世の後の ことならず 貪り瞋り 今も身を焼く
地獄の現在性:
地獄は死後ではなく、「貪り瞋り」によって「今も身を焼く」心の状態である(新滴068)と断言することで、煩悩からの解放を現在の課題として捉えています。
刹那の命と精進の勧め
無常観が消極的な諦めではなく、積極的な精進の根拠となっています。
今、この瞬間:
「明日明後日を憂う愚かさ」を戒め(新滴084)、「ただ今が無上の歩み」(新滴081)であると宣言することで、悟りは未来ではなく「今このときぞ」(新滴080)に実現すると強調されます。
新滴084 刹那ゆえ輝く命を知りもせで 明日(あした)明後日(あさて)を憂う愚かさ
新滴081 ただ今が無上の歩み あと一歩 あると思うな悟りの階
新滴080 この道はいずくに続くと煩わで 浄土も穢土も 今このときぞ
軽やかな生:
執着を重荷として下ろすこと(新滴055)や、命が儚いからこそ全力で輝く(新滴059)という、仏道修行によって得られる心の軽やかさが随所に詠まれています。
新滴055 誇らしく背負うた重荷と行く道か 下ろしてみれば足取りかろし
新滴059 蝉時雨 燃ゆるいのちの あつさかな
まとめ
集大成としての『新滴集』
『新滴集』は、弘法大師空海以来の密教の核心である「即身成仏」を、言葉の持つ力(言の葉の方便力、新滴032)を最大限に駆使して、現代に詠み上げた「悟りの歌」の集大成であると言えます。
自己の身体と心の全てを仏として肯定し、慈悲と智慧の両輪をもって迷いの世(長夜)を生き抜く菩薩の誓願が、全99首を通して一貫して響き渡っています。
新滴032 我れまさに 花を咲かせん 言の葉の 方便力を もっての故に