管子
管子
☆管鮑の交わり
『管子』
☆倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る
管 夷吾(かん いご)は、中国春秋時代における斉の政治家。桓公に仕え、覇者に押し上げた。一般には字の仲がよく知られている。管仲は紀元前645年に死去する。そして桓公から「敬」を諡され、以後管敬仲、あるいは管子とも呼ばれる。
それ以後の桓公は精彩を欠き、管仲の遺言に背き三人の奸臣を近づけ、その病死した死骸はは放置されて腐敗し、遂には蛆が廊下まで這い出した。国力は大幅に低下した。これにより、覇権は斉から晋の文公に移った。
【後世の評価】
陳寿は諸葛亮伝において、諸葛亮の才能を管仲・蕭何に匹敵すると評し、諸葛亮も自らを管仲・楽毅に比していた、と記した。
司馬遷は史記の列伝において、管仲を「御者になりたい」とまで崇敬していた晏嬰と同列に並べた。
一方、孔子は『論語』において、管仲は桓公と同等の格式を取ったり、暮らしぶりが豪勢だったと非難したが、弟子が管仲を批判した時にはむしろその功業を称えもしている。
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管子の内容
・法をもって国を治める(法家)
・富国強兵→信賞必罰
・経済政策(塩鉄の官営)
・学者のものではなく、実際家のもの(宰相)
・礼儀廉恥…法律…賞罰…富国
・衣食足りて礼節を知る
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管子講読2022
管子 全(漢文叢書 ; 第7)
塚本哲三
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958954
ウィキの管仲
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ウィキの管子
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ウィキソース
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