如来蔵思想は仏教にあらず・仏性wiki
如来蔵思想は仏教にあらず(松本史朗)・仏性wiki
釈迦の覚りは十二支縁起の順逆観によって諸法が顕現した
一切衆生悉有仏性(テーゼ)≠一切皆成(法華経)
如来蔵思想とは"dhAtuvAda"である。
世親の『法華経論 』 も、「一切衆生悉有仏性」 を言いつつ、三乗各別説に立って「一切皆成」を否定している。
『涅槃経』の 「一切衆生悉有仏性」 における 「仏性 」の原語は"buddhadhAtu"
dhAtuは「基体」
成仏の可能性とか仏の本性・仏の本質という説明はよろしくない
仏性(チベット訳では如来蔵)は皆に(一闡提にも)あるけど、〔一闡提以外の〕皆が成仏する。
一切衆生に仏性(buddhadhatu, Sans rgyas kyi khams)があり、その性(dhAtu)は各自の身中に備わっている(tshaN)。 衆生は煩 悩の相(rnam pa)を 尽してから仏にな る。 ただし,、一閲提を除く。(Tu99a6-7);〔曇無識訳:一 切衆生皆有仏性, 以是性故, 断無量億諸煩悩結, 即得成於阿褥多羅三貌三菩提, 除一閲提〕(大正12, 404c)
一闡提にも如来蔵はあるけど、極めて厚い覆いの中にいる。例えば蚕が自ら囲いを作つていて, 出口を開けなければ、外に出ることができないように、如来蔵も、彼 〔=一闡提〕の業の過失によって、一闡提の中から出ることはできない。 それ故, 輪廻の果てるまで菩提の因を得ない。(Tu134b2-3);〔 曇無識訳: 彼一閲提錐有仏性, 而為無量罪垢所纒, 不能得出如蚕処繭, 以是業縁, 不能生於菩提妙因, 流転生死無有窮己〕(大正12, 419b)
一切衆生如来蔵 ・一切衆生悉有仏性 ・法界無差別 ≠ 一切皆成
(大 乗荘厳経論) (涅槃経 ・法華経論)(現観荘厳論) (法華経)