世説新語_品藻
世説53☆品藻1(1~15)
世説54☆品藻2(16~25)
世説55☆品藻3(26~35)
世説56☆品藻4(36~50)
世説57☆品藻5(51~60)
鄭玄の『周礼』大司徒注に「師を同じくするを朋といい、志を同じくするを友という」
朋は友とくらべると内面的な心のつながりが薄い(森三樹三郎注)
世説59☆品藻7(69~87)【品藻了】
※コメント対応3分余有。youtube版推奨
#72 有人以王中郎比車騎,車騎聞之曰:「伊窟窟成就。」 →人の王中郎を以て車騎乗に比す有り。車騎は之れを聞きて曰く、「伊(か)れは窟窟として成就す」と。
→ある人が王中郎(王坦之)と車騎(謝玄)を比べた。車騎はそれを聞いて行った。「あれはコツコツと仕上げてゆく人間だ」
※窟窟:コツコツとつとめるさま
※窟窟。あまりパッとしないオノマトペ・・・王坦之はコツコツ、モタモタと努力を積み重ねてゆくタイプに過ぎず、いっきょに核心に迫る天才型の自分とは同列に論じられない・・・「窟窟」がけっしてプラス評価でないことから明らかなように、『世説新語』の世界では、概してひらめき(直感)、鋭い感性、回転の速い頭脳に恵まれた天才型の人間が評価され、愚直な努力型の人間は評価されない。神童をテーマにしたエピソードが多いのも、こうした価値観の繁栄だといえよう
*中国仏教が「頓悟」を好むのは、こういう流れの中にあるからかな?(インド仏教の後継を標榜するチベット仏教は、サムイェ寺の宗論で「漸悟」が勝利した結果、その方向が決定したわけだが。あ、でも中国側資料では中国が勝ったことになってるんだっけw)