ジャンヌ・ダルク処刑裁判&復権裁判
※ジャンヌ・ダルク裁判とは(2と3が大事)
1.ポアティエの審理
ジャンヌがシノンの王太子のもとに現れた時、ポアティエに送られて神学者から信仰の査問を受けた。2の中でも言及されている。調書は現存せず。
2.処刑裁判 ←コレを読む。
①フランス語原本…3の法廷に提出され、前判決棄却という判決と同時に廃棄されたか?現存せず。
②ラテン語記録…1435年ごろ①がラテン語に訳され、関連書簡等の写しを加えた、全過程「裁判記録」が編纂され、写し五通が関係要人に送られた。このうち3通が現存。
③ユルフェ写本…①から移されたと推定される写本部分が発見されている。
④オルレアン写本…③またはその元になったフランス語古記録を写し取った16世紀のフランス語写本
3.復権裁判 ←コレも読む。
ジャンヌ死後約20年、シャルル7世によるルーアン奪回3か月後1450年3月。56年7月ルーアンにおいて前判決を棄却、その無効を宣言。一連の調査文書は資料集に収録され、いくつかの校訂版が出ている。
4.列聖審理
1869年オルレアン司教による「ジャンヌ列聖」申請~1919年ローマ教皇の承認。ローマ教皇庁に収められていて未公刊。