yasumiのメモ:『人を賢くする道具』第9章
第9章「ソフト・テクノロジーとハード・テクノロジー」p381-p417 より
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●人間と機械の違い
人間:バスケット(カゴ)を見ることは容易い
機械:バスケット(カゴ)を見ることが難しい
→機械は「知覚することが難しい」
【機械にとって容易いこと】
・計算すること(ex.ボールの適切な弾道を計算して必要な力を加えて投げること)
・作業すること(ex.数時間も物を支え続けるようなこと)
→ただし前章では、予測外の例として「計算(compute)するもの」だったコンピュータが、「情報(言葉・音・絵)を処理し制御するもの」に変わったことが挙げられている。
【人間にとって容易いこと】
・問題の本質を感じ取る
・そこにあるアーティファクト(人工物)に本来にはない使い方を見出す
・それを適切に使う
・誰かに助けを求める
・頼まれなくても助けなければならないことを認識する
→人間は「知覚」と「共感」が必要な「あいまいな状況を理解することを得意とする。」(384)
問題は、人間はなにが得意なのかに気づいていないこと。
そのため、機械の要求に合うように人間の仕事をつくってしまう。(384)
なぜ、そうなって(機械を基準に)してしまうのか?
ひとつは技術者・設計者・デザイナーの問題がある。
「問題は機械の性能に重点をおくことから発生する。」(385)
その結果、「人間の強みよりも弱みに関心が寄せられるようになるのである」(385)
「疑問に思うのは、どうして機械を基準にしてわれわれ人間を判定するようになったのかということである。」(385)
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★そうなんですよね。
「どうして機械基準で人間を判定するようになったのか」みなさんのお考えを知りたいです。
★私は、日本では昭和の「カイゼン」手法が肌に合いすぎてやり過ぎてしまったことと関係があるような気がしました。
さらにマーケティングが加熱し、無いニーズをひねりだし、人間を操ろうとした。
こうした産業界の考え方が生活にも入り込み、思想的にも人間らしさを欠点とみなす風潮が広まっていったのかなと。。。
●人間中心のデザインの原則とは
ふたたび設計者への苦言。
「自動化できた部分だけ自動化し、残りを人間にやらせるのである」(388)
「問題は、機械に使っているのと同じ数値による表現をそのまま人間に見せるのが一番楽であるという点」(389)
「機械中心の内部表現を人間中心の表層表現の形態に変換する責任を負うのは機械(それを設計する人間)の側」(389)
●インフォメイトとオートメイト
インフォメイトとは:スシャーナ・ズボフ『賢い機械の時代に』に出てくる造語。
インフォメイトなシステムとは:
「内省的認知のアーティファクトのこと」(390)。
「人間と機械が一緒に働くという協働システム」。
オートメイト(自動化)されたシステムは、協働的ではない。
必要なのは、「人間がやりたいけれども不得意なことをやってくるシステムを設計する」こと。
それは「人間のニーズに敏感で、それを理解する人が設計しなければならない。」(391)
●論理は人間の認知のモデルとしてはふさわしくない
★↑ここすごく大事な気がする。
(問題の内容と文脈の両方を)「考慮すると言うことは、問題を具体的なことばに置き換える、つまりリアルな行為とリアルなやり取りからなる既知の世界に問題をマッピングすることを意味する。」(393)
人間の言語は多義的。「言語は休みなく進化し、はっきり定義されず、無定形のシステムであり、まさに人間のインタラクションにふさわしいものなのである。」(399)
●ソフトなテクノロジーとハードなテクノロジー
ソフトなテクノロジーとは:インフォメイトによる、「柔軟で人間の管理下にあるテクノロジー」(400)
例:日刊新聞のデータベース(411)、ラビット(414)
ハードなテクノロジーとは:オートメイトによる、「機械のニーズに従わせるテクノロジー」
例:従来の電話。人間にとって「多くの当たり前の儀礼を壊すことになってしまった」。(402)
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電話をソフトなテクノロジーに変えるには、
「かけ手側も受け手側も同様に、それぞれのニーズに合った好きな方法を使えるということである」(406)
●注意すべきことは、
「認知のアーティファクトがタスクを変えるように、コミュニケーションのテクノロジーは人間同士のインタラクションの性質を変えてしまう」こと。
テクノロジーをソフトにするために一番重要なことは、
「どんな機械でも使う人のニーズからデザインすべきだということである。」(410)
★ちょっと疑問符。
また「道具を人間がふだん物事を考えるやり方に合わせるということである。」(412)
★こちらは同意。
★この「ニーズからデザインする(410)」ことと、「道具を人間に合わせる(412)」ことは、分けて考えたほうがよさそう。
ノーマンの「道具を人間に合わせる」人間中心のデザインはこの本のポイントで、その考え方は、IDEOのティム・ブラウンの「デザイン思考」に似ていると思う。
でも「ニーズからデザインする」については、後に「意味のデザイン」ロベルト・ベルガンティが出てきて、ノーマンの考えもニーズから意味へと、時代とともに変化していったのでは?
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以下の論文参考になりました。
「表2. ダブル・ダイヤモンドのフレームとデザイン・アプローチの構成 (森作成)」