第3章「エクリチュールとライティング・エンジン」_泡沫メモ
★とても難しいので、一旦以下の考えを持ちつつ読んでみる
手書きとタイプライトの差異と、お互いの限界とは何か?
パロールとエクリチュールの自分なりの定義というものを確立する為に必要な事項は何か?
分かりやすい文章と、あくまでも自分中心の快楽的ライティングのバランスの取り方とは?
★引用と、考えたこと
p42、手書き派の人こそ記号化していない(記号にまだなっていない純粋な)エクリチュールを求めていると思っていたけど違うようだ
手書きのエクリチュールへの執着は、一見したところ失われた「純粋な」エクリチュールへのノスタルジーのようである。だが、純粋なエクリチュールへのノスタルジーとその再創造は、手書きではなくタイプライターのエクリチュールで行われた。
p42、タイプライターの物質たるイメージが先行しているせいか、あんまりピンとこない。音声中心主義はロゴスの現前を目指していて、その手段としてタイプライターを使っていても、ロゴス現前の目的が有る以上手段の物質的存在感を一旦無視できてしまうという話だろうか。「目的への抵抗 著:國分功一郎」の中でハンナ・アーレントさんの目的の意味合いとして「目的は手段を正当化してしまう事が、その本来の意味・在り方」という様な記述があったけど、それに近いのだろうか?
この統合(純粋なエクリチュールの創造)は音声中心主義によって行われた。つまり、タイプという物質性をもったエクリチュールを操作しながら、ジャック・デリダの言葉を借りるなら「声と存在の、声と存在の意味の、観念性の、絶対的近さ」を主張したのである。タイプという記号の持つ物質性を拒否し、活字化されたテキストの記号体系に先行し、それを支配する超越的な意味の存在とそれに裏打ちされたエクリチュールへのノスタルジーにあふれているのだ。
rashita.iconこれはご指摘の通りだと思います。音声中心主義でタイプライターを使うと、結局物質性・記号性みたいなものを重視するのではなく、ありえただろう「声」を再現する、というスタイルになってしまう、という感じかと。
泡沫.iconやはりそういった意味合いとなるのですね。目的へのストイックな追求の姿勢が垣間見えて、なんだか人間心理として面白いです。
p46。?、意図が分からない。
ニーチェがタイプライターを前に、論理的思考を保証する形而上学の背後に潜んでいた超越的な神が死んだと予感したことはよく分かる。
rashita.iconこの文章の前段で、タイプライターを使いプリントアウトしたものをカット・アンド・ベーストして論理的に整合的な形に整えることができるようになった、という話があります。
それまでは、そうした作業は作業者の頭の中で行われていて、可視化されていませんでした。見えなかったわけです。
その見えなさが神秘性につながり、その神秘性は「超越的な神」のイメージと結びつきます。
タイプライターは、その神秘性を破壊したと著者は述べます。
タイプライターによって印字された紙→物質性が明らかになったというだけでなく、その紙を切りはリすることで整合的な論理ができあがってしまうという「技法」が目に見えるようになったおかげで、論理的な整合性というのが超越的な神によって保証され、それを引き出せる人のみに生み出せるのではなく、紙をあれこれ操作すると、誰にでもできてしまうよ、ということを明らかにしてしまった。
これが「論理的思考を保証する形而上学の背後に潜んでいた超越的な神が死んだと予感した」という部分の意味合いだと思われます。
泡沫.icon 論理的思考は形而上学的な神秘によるものと思われていたけれど、タイプライターで書き上げたものをカット・アンド・ペーストを駆使する事でその再現が可能となり、単なる技法上の問題に還元されてしまって、形而上学の背後に潜んでいた(とされる)神の実質的な死という話に繋がるのですね。詳述して頂いて、やっと理解が少し及びました、ありがとうございます!
p46、13行目。古典主義的知識←→形而上学的な論理的思考。
ところが、新しいメディアであるタイプライターは、形而上学的なエクリチュールの脱神秘化に加えて、皮肉なことに古典主義的知識の「民主化」をもたらした。
p49。引用中の太字箇所について、意図が深く汲み取れないので少し考察してみる。字面通りに受け取れば、デリダが政治や政治家への忠言として放った言葉として受け取るべきだと読める。けれど、「テキスト外〜」の宣言を誤読というか意図を歪曲して受け取る人も少なくないらしい。もちろん、原文を読んでその宣言がなされた文脈を綿密に読み取る事が肝要に思われるが、そうであってもその意図が正しく伝わっていない状況を見ると、デリダ自身がこの宣言をした文脈が誤っていた可能性を感じる。時間が有る時にその原文を見て、また判断したい。
いや、その後の文章を読むと政治的の意味合いが少し分かった。前文から続いていた、教養あるエクリチュールの話に関連していた様だ。文章は本当に文脈が大事だと感じます…。(自戒)
デリダの言葉である「テキスト外というものは存在しない iln'y a pas de hours-texte」ということは、まるで解釈を拒否する冷たいテキストの存在のように思われ、またそう解釈して脱構築的分析をするものも多い。だが、この宣言は政治的なものとして読まれるべきだろう。
用語
アレゴリー化
寓意・寓喩、ある抽象的な物事を具体的なコト・モノなどに置き換えて暗示すること。
シニフィエ
ある言葉を聞いた際に頭の中に浮かぶイメージや概念のこと(意訳)