第四回環読プロジェクト:『思考の技法』を読む
ステップ
章ごとに読んでいき、それぞれの章に何が書かれているのかを要約する
すべての章を読み終えた後、この本に全体として何が書かれているのかを要約する
書誌情報の確認
著者について
政治学者が書いた本。
となれば、なぜ政治学者がこのような本を書いたのか、というのが第一の疑問として出てくるrashita.icon
原著について
『The Art of Thought』(1926年)
認知革命は1950年代。言い換えれば、1950年代を境目に、『The Art of Thought』はその前に、『人を賢くする道具』はその後に、人の思考について考えた本ということになるrashita.icon 帯
「ひらめき」を生む方法
目次
はしがき 007
凡例 010
第1章 心理学と思考 011
第2章 意識と意志 035
第3章 技法に先立つ思考 047
第4章 コントロールの諸段階 069
第5章 思考と情動 102
第6章 思考と習慣 130
第7章 努力とエネルギー 149
第8章 思考のタイプ 172
第9章 意識の遊離 208
第10章 教育の技法 232
第11章 公的教育 263
第12章 教えと実践 285
はしがき
現代心理学の知識が、活動中の思索家の思考プロセスを改良するのにどこまで役立つかという問題意識を著者は持っている
本書は、思考のあまり意識的ではない部分に関しての考察をより深めたものになっている
著者は思考の技法を実践する若い思索家にとっての益になることを望んでいる
第1章 心理学と思考
思考が必要とされる時代
現代では思考の力が不足していることが確認され、その必要性が説かれる。
国内外の政治、経済、芸術、個々人の生き方の分野で思考の不足によって何が生じているのかが例示される
ピックアップしたい箇所
「その力を思考によってコントロールしてこなかった」
「経済の分野でも、構築への議論より批判のほうがはるかに上回っている」
その例示を受けて、現代(原著執筆時点のこと)が「人類史上かつてないほど切実に、思考が必要とされる時代」だと主張される
ピックアップしたい箇所
「私たちは過去についての正確な、よりバランスのとれた理論を構築しなければならない」
(前略)私たちの思考がより普遍的で有意義になるような美しい言葉、形式、彩りとの関係性を理解しようとしなければならない」
ピックアップしたような箇所についての具体的な指針ではなく、本書では「専門的な研究すべてで用いられる思考プロセス自体をどこまで改善できるか」→効率的な思考の技法をどこまで生み出すことが可能なのかが論じれることが提示される
思考プロセスの探究
実践的な分野(技法)における経験と科学の関係
たとえば料理や冶金
料理本と化学の教科書の違い
経験的なプロセスから学ぶことで科学は発達し、結果を受けて経験的なプロセスが改善される
大きな問い
思考プロセスが何かしら恩恵を受けられる方策とはどのようなものなのか。私たちは思考の「科学的技法」の創出にどこまで近づいているのか。
科学的な知識が思考の役に立ってきた歴史は長いが、「科学的」方法によって蓄積・分類された知識に依拠したもの。
「論理でもなく、知識の蓄積でもない何か」をいかにして促すか。その探究はまだまだ浅い
機械的理解
この時代の心理学的な見方への不満
人の体の機構を「機械」のメタファーを使って捉えるときに、筋肉などの動きを中心に本能や情動がエネルギー源であり、思考はそうしたエネルギーがないと駆動しないシステムだとされる。
はたして本当にそうなのだろうか、という投げ掛け
ホルメ的理解
ホルメは駆動のこと
ホルメ的理解=ホルシズム
パーシー・ナンによる命名
ヘンリー・ヘッド博士「進化によって中枢神経が発達した目的は、その多様で矛盾しあう諸反応を統合し、当の有機体全体の繁栄につながるような一貫した結果をつくりだすことにある」
人の統合は完全ではない、「多様で矛盾し合う諸反応」が起こる
組み合わさった各要素が協力し、それぞれが全体の利益のために役立ちながら、それでいていくらかの主導権を保ちつづける
ホルシズムの視点では、有機体の各部分すべてに統合された活動へ向かう傾向があることを否定しない。しかし、生きている完全な統合ではなく、機械的で不完全な統合として理解する
協調と統合
イギリスの憲法について
古い法定を基盤にして、新しいものが上に積み上がっていっている
すべてが一つの目的のもとに完璧な調和を見せているわけではない
憲法についての教科書の多くは、こうした事実がすべて、きれいに噛み合わさった機械のごとく配置されているように書かれてきた。そこでは一つひとつの決定が議論の余地なく適当な当局者によって下され、未解決のまま残される問題はないというように。
したがって英国では、統治の技法とは、レーニンやムッソリーニといった支配者がいつも夢見ているような、自力では動かない機械を元首ひとりの意志の力で動かすといった機械的なプロセスにはならない。その代わりに、部分的に独立した有機体の活動を協調させるというデリケートな仕事になる。
個々の人間という有機体の内部で、有る程度まで活動の統合をもたらす心理的・生理学的な技法もすべてこのタイプ
自らの問題を把握(グリップ)しようとする思想家は、ゴルファーがクラブを自分の体の一部として協調的に統合できるのと同じような技法を持つ必要がある
第2章 意識と意志
意識とは何か
私の意識的な自己はすでに完全な統合体ではなく、統合へと向かおうとする不完全な、そして改善可能な傾向だ、という理解へのシフト
意識には明確な線引きはできず、さまざまなレベルが連続している
無意識のレベルから連続的に、まだ人間が到達していない最上位(高次)の意識が存在している
視覚関連の用語で意識の性質の違いを捉える
焦点視と周辺視→今だと周辺視野と中心視野
意志とは何か
「より高次の思考を組み立て、ぼんやりとした普段にはない連想によって新しく有益なアイデアや決断に至るという心的プロセス」は、意志をじかに行使してもごく不完全にしかコントロールできない
身体と精神
身体と精神を区分するのは難しい
ワトソン「人間は全身のあらゆる部分で思考する」
身体と精神は、ひとつの生における二つの側面、という捉え方
フランス現代思想との時間的な距離感を確認する
本書『The Art of Thought』は1926年
ジャック・デリダ1930年7月15日 - 2004年10月9日
ポスト構造主義:1960年後半から1970年後半頃
構造主義:1960年代
ノーバート・ウィーナー 『サイバネティックス』1948
第3章 技法に先立つ思考
思考を観察できるか
思考の技法とは、既存の形の人間行動の傾向を意識的な努力によって改善しようとする試み
ランニングの技法や演劇の技法などと同じ
技法のルールの土台には、その技法によって修正しようとする行動について得られる正確な知識がなければならない
観察して知識を得る
思考の観察は困難
思考プロセスにおいて最も重要な段階の一部は、通常は無意識か、半意識的に行われる
そうしたものは通常観察できないし(観察とは意識的な行動なわけだから)、観察できたとしても「自然な」ものとは言えない
経験は人それぞれだが思考には共通点がある
独創的な思考の基本要素は、ある心的出来事が上位脳の「電話交換室」においてまた別の心的出来事を呼び起こすプロセス
技法が改善しようとするのは、その連想=連関のプロセス
連想プロセスを観察する二つの内省的な手法
プロセスが生じたあとで、観察者がその連なりを記憶する
生じているあいだに観察するか
記憶による観察
ホッブズの『リヴァイアサン』を例に「記憶による観察」についての話が進む
ある心的な出来事が別の出来事によって呼び起こされることはよいとして、「あてどのない」思考にあって、それが選ばれる理由がなぜなのかはわからない
→「制御された」思考
同時的な観察
連想が発生しているそのときに観察する。過度の単純化は避けやすくなるが、非常に難しい。
J.ヴァーレンドンク著『白昼夢の心理学』が例としてよい
精神分析で生じる連想は「不自然」である
心的な試行錯誤が行われている
「カチッ」という言い方(ぴたりと嵌まるという感覚だろう)
ヴァーレンドンクの解釈
意識の強弱と合理性の強弱は関係する
意識のレベルがぐっと下がると、文明的な人間が教育や経験から得た批判能力も一緒に下がるということ、ヴァーレンドンクは知っていた。
あとからこの能力は「合理性」という言葉で言い換えられている
完全に目覚めているときの半意識的な思考には、中枢神経が自然な眠りや催眠状態に入ろうとするときに起こる半意識的な思考と似た点が多いが、違いも存在する。その違いは、より高度で難しい形の知的創造においてきわめて重要なものとなる。
ポアンカレの解釈
アンリ・ポアンカレは『科学と方法』の「数学的方法」で、自身の思考プロセスを紹介している 彼は、自分自身の数学的発見において、そこにかかわる感受性は美的本能から生じるものとしていた
著者はポアンカレの見方はあまりに単純化した構図だと捉えているが、得るものもあると述べる
それでも学生は彼らの本を読んだあとに、自分自身の内省の助けを借りて、こうした「自然な」思考プロセス──経験や習慣の影響を大きく受けるとはいえ、思考しているその時点では、思考の技法のなんらかのルールに自ずと縛られるということはない──の適切な作業概念をつくることが可能になる。
学生は自分の頭の中で、連関する観念の自動的な連鎖を、どこかで覚えのあるポジティブな結末やネガティブな結末を、破綻していてすぐに忘れ去られるものを観察できるだろう。こうした連鎖の一部は、「本能」と「理性」との関係の、「機械論的」理解を生じさせる、あの原始的なタイプに属しているのかもしれない。
第4章 コントロールの諸段階
思考プロセスの四段階
この章では思考プロセスのどこに介入するのかが検討される
ヘルムホルツ、ポアンカレの話を引きながら、準備、培養、発現、検証の4つの段階が設定される
複数のプロセスが重なり合いながら進んで行く
重要な思考は、音楽の作曲に似ている。そうした思考における成功とは、所定の問題の解答などよりも美しく真実だと感じられるものが生み出されることにある。
〈準備〉段階と〈検証〉段階
準備は、知的教育全体のプロセスが含まれる。教育を得た人間が行っていること全般ということ。
専心したり、しばらく頭を休めたりできるようになる
観察と記録に勉めることで、多くの事実および言葉の記憶を習得し、それが最終的な連想に幅の広さをもたらす
思考の体系を構成する多くの連想の習慣的道筋も得られ、それが思考プロセスの中にセットになって現れてくる
準備の段階で、自発的もしくは習慣的に、ある問題の連続する要素にどういった順序で注意を向けるかという規則に従うことを学び、実行できる。
予備的な制御の規則に含まれるもの
論理の技法のすべて
実験科学の論理となる数学的形式
天文学や社会学といった観察的科学の基礎となる現在の現象や記録された現象を体系的・継続的に検証する手法
「問題-姿勢」(仕事 アウフガーベ)の内的な選択
なんらかの問題があるとき、それを明確な疑問として設定しなければ、私たちの精神が明確な答えを出せる見込みは低くなる。
証明または反証するべき問題の明確な理解を定められれば、新たな証拠の一部や新たな観念の連関の重要性に気づく可能性は高まる、
ハクスリー「正しいか正しくないかと騒ぎたて、あちらへこちらへ揺れ動いていても、何も得るところはない、だが絶対的に、徹頭徹尾まちがっていれば、いずれ事実に真っ向からぶつかるという願ってもない幸運に恵まれるはずだ。そうすればまた良い方向に向かえる」
交互に提案と批判が繰り返される対話の形の絶え間ない努力における産物
第一の段階の準備と第四の段階の検証はよく似通っている
〈培養〉段階
意識的に思考しないそのときに無意識的な心的出来事が生じる
自発的に控える二つのパターン
他の問題に注力する
完全に休む
身体を使った運動も良い
思索家にとって、ただ勤勉であることは好ましくないかもしれない
さまざまなタイプの活動を交互に行ったほうがよいのかもしれない
〈培養〉を妨げるもの
勤勉かつ受動的な読書の習慣が培養の段階でもっとも危険
ショーペンハウワー「読書について」
カーライルがアンソニー・トロロープに語った言葉、旅行中は「本を読むのではなく、静かに座っておのれの思考を整理すべきだ」
〈発現〉段階
ひらめきの〈予兆〉
ひらめきの直前にある意識が〈予兆〉とされる
そうした予兆が十分に長いものであれば意識を向けることはできるが、はたしてそれをしたとしてプロセスが改善されるかは簡単にはいえない。ある行為が熟達して成されているときにはむしろ個々の動作には注意が向いていないだろうから。
とは言え、新しい技能を習得するプロセスだいたいにおいて意識的になされる
〈予兆〉を妨げるもの
忘れるか、割り込みによって連想が妨げられる。注意を向けること自体が、連想を妨げかねない
言葉に置き換えることの危うさ
とは言え、思索家は言葉にすることを避けられない
第5章 思考と情動
〈予兆〉を色づけるもの
内発的に起こる思考プロセスのコントロールにおいてもっとも難しい問題は、〈予兆〉は感情(情動、感覚などを包括する言葉)で色付けられていることから生じる
情動と言葉の選択
私たちが思考にどういった言語を用いるかを選べる場合、その選択が難しくなる理由の大部分は、この情動的な要素にある。あるひとつの言語またはそのニュアンスは、私たちの問題をより正確に言葉にでき、〈検証〉をより効果的なものにできるかもしれない。しかしそれとはまた別の言語が、私たちにとっての情動的な連関を持っていて、それが新しく生き生きとした思考をより多くもたらすということもありうる。
観念が情動を生み出し、情動はまた観念を呼び出す(連想)
ユーモアという情動
ユーモアは、自分が拘束されている常識その他一般から脱却して思考することを促す力がある
その力は、日々鍛練して維持しておくことが必要である
また、機械的にユーモアを適用したり、ユーモアの感覚をただ信用すればいいわけではなく、適宜うまく使っていく姿勢が必要だ
情動の役割
予兆的な感覚は、「よしそろそろ結論が近いぞ、意識でこれを検討せよ」というサインになっているのではないか
ある種のパターンを捉まえようとしているときに予兆的な感覚がある
理性と想像力
想像力は理性と対比されてきたが、現代では、連関する思考のさまざまな段階や目的を明示するために区別される
想像力は、予兆と発現。理性は、準備と継承
第6章 思考と習慣
習慣という刺激
心的活動に直接影響を与える方法を模索するのもよいが、そうした影響を生み出す「習慣」について考えるのもよい。
時間を決めて作業をする。前日の作業の振り返りから一日を始める。難しい仕事からはじめる(カエルを食べてしまえ)などなど
辺縁の思考の記録
思索家は自ら蓄積した読書ノート、記録した辺縁の思考、過去に書いたものなどの題材を扱う場合、特別な習慣を身につけようと努めるべき。ただし、その習慣は、題材の性質、作業の特性、思索家本人の力量によって変わる。
アイデアを膨らませる
「思索家は自ら蓄積した読書ノート、記録した辺縁の思考、過去に書いたものなどの題材を扱う場合、特別な習慣を身につけようと努めるべき」、ただし、「その習慣は、題材の性質、作業の特性、思索家本人の力量によって変わる」
絶対的な方法があるわけではない
習慣の主人たれ
習慣をつくることはきわめて大切だが、そればかりだと危ういという話がなされます。特に「息苦しさ」を感じるならば、普段やっていることとは大きく異なることをした方がよい
勤勉さなくして偉大な知的事業は成しえないが、単なる勤勉は創造の妨げにもなりうる。
第7章 努力とエネルギー
思考と努力
習慣とエネルギー
エネルギーを喪失させる習慣と、増大させる習慣がある。
慣れてきてルーティンのように物事を「こなす」習慣ではなく、むしろ習慣的に考え、調べ、判断を保留すること。そうしたものエネルギーの増大につながる
情動の機能
心的エネルギーを効果的に刺激できるかどうかは、思考プロセスと、そうした「情動」や「本能」や「情熱」との適切な関係をつくることにかかっている
思索家は自分の仕事を、それに取り組んでいるときの自分の内的な調和の程度ではなく、その最も重要な条件が自分自身の外部にある世界で新しい思考を首尾よくつくりだせたかで判断すべき
行動とは何か
行動から生まれるエネルギーがある
行動は統合をもたらす
自分がやっていることの意義を自分が理解しているとき大きなエネルギーが生まれる
二つのエネルギー
物理的なエネルギーと心的エネルギー
第8章 思考のタイプ
人間集団による類型化
第6章、7章では、個々の思索家たちが自らの思考の実りやエネルギーを増すための、意図して身につけられる心的習慣や方策について論じてきた。この章では、国民や職業といった人間の集団のそれぞれに特徴的ないくつかの心的習慣について論じていきたい。
個人ではなく、集団の思考の傾向を見ていくが、あくまで傾向であって、全体ではないし、また他の集団に見られないわけでもない点には注意が必要。
英国的思考とフランス的思考
フランスにおいては「理性」への支持が理想として定着し、イギリスではそうしたフランス的な「理想」とは逆のものが定着した
政治的思考における相違
アメリカの「開拓者精神」
アメリカの創造的エネルギー
第9章
催眠状態と思考
確信の感覚
意志によるコントロール
自己暗示と瞑想
第10章 教育の技法
現代のプラトンたち
知的な達成に向けて、大人たちは子どもにどんな手助けができるのか
プラトンのように自然、旅、自由な遊び時間、師や仲間との語り合いや創作を現代で望むのは相当に難しい
現代の思索家は、現在の人間社会に秩序や混乱をもたらす力のコントロールに貢献しようとするなら、生涯を通じて図書館いっぱいの本やピラミッド並みの新聞の山を読み、自分が過去から百万年続く時間の中の、天文学的距離にわたって広がる空間の中野一点で、生きていることを科学から学ばなくてはならない。外国の専門家と知的に協力して、アリストテレスに記憶できる量の千倍もの正確な知識を処理しなければならず、アリストテレスに想像できるより千倍も正確な人工的な観察手段を活用しなくてはならない。
子どもまかせの弊害
子どもに教育するならば、それを教えるほうもその技能を持っておく必要がある
子どもの衝動だけに任せると期待通りにはいかない
それぞれのレベルに合わせた適切な訓練が必要
知的成長とは、ある種の知的機能を実行する力がいきなり現れるのではなく、その機能が継続的に実行される時間が徐々に延びていくという形で現れてくるのだ。
最初にやってくる疲労と消耗の違い
心的エネルギーを刺激する
p.247
また思索家見習いは、「性に合わない」せいで苦痛になるような努力と、努力することがいつのまにか形を変えて生じる幸運なエネルギーとの区別をつけられるようにならなくてはならない。
余暇の必要性
子どもが忙しすぎる状況についての警句。子どもたちが性的倒錯に陥るのを避けるために暇を与えず、「割り当てられた時間」でみっちり構成する、という状況は、思考における発現や予兆という経験を得られないままにしてしまう、という問題点が指摘されている。エヴィデンスはさておくとして、同じことは現代の子どもたちであれば、より顕著な形で経験している可能性が高い
心理学的視点の導入
学び方への関心を持つことが読みの速さや理解の度合いを百八十パーセント高める、といった報告がある
方法への興味が、実践の結果に影響を与える。言い換えれば、そこでどんなプロセスが起きているのかを見つめる視点は、行為そのものに影響する
ノウハウの話はどうでもいいわけではない、ということです。
ある心理学的な内容の講義を受けた人の感想にある「彼の話を聞くまで、自分に精神があることにすら気づいていたものは少なかった」。
自分の心的活動へのメタ認知が欠如していた
第11章 公的教育
義務教育の役割
義務教育は、まだ制度として若い。
知能の幅にうまく対処できているか?
高い知性に対するケアはどうか? 定収入など環境が悪いと、子どもの知性は延ばすのが難しいかもしれない
高知能の子どもたちへの有効手段
中等教育の義務化
第12章 教えと実践
教員登録制度の弊害
思考の技法の伝達と実践
柔軟な教育制度
学校の役割
実験学校の可能性と限界