『TAKE NOTES!』への疑問
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著者は、ツェッテルカステンこそ生産性高く進められる方法であり、それだけでなく質を高める方法であると述べている
他の方法はぜんぜんダメ、くらいの勢いで主張されている
著者は、ツェッテルカステンはほとんど注目されていない(知られていない)と述べている
二つを合わせると、世の中の大半の著作はツェッテルカステンを用いて書かれてはおらず、質的な問題を含んでいることが予想される
一方で、著者は、他の人の本や論文を読んで自身の研究に取り入れることをごく普通に行っている
それらの発表は、著者の言い方を受け入れれば、ツェッテルカステンを使って書かれてはおらず、質的な問題を含んでいる可能性がある、ということになる。
しかし、そうした可能性はほとんど念頭に置かれていない
そうなると、ツェッテルカステン以外の方法でも、十分質の高い研究・著作の発表ができるという結論にならざるを得ないが、そうなると本書で散々述べている「ツェッテルカステン以外の方法はダメだ」という主張が崩れてしまう。
レトリックとして「この方法こそが」と言いたい気持ちはわかるが、一方でその方法の希少性を説き、その方法では書かれていない著作を読むことをごく平然と行っていることには整合性がない。
「私はこの方法でうまくやりましたが、他の方法でもできるでしょう」という言い方であれば、上記のような不整合はない。
内容がレトリックによって侵食されてしまっている。
このような不整合は、本の内容が知的生産や研究活動に関するものでなければ瑕疵とは言えないが、本書はそうではないわけで、解消すべき大きな問題だと言える。