ラザロ
私.icon 私:2025年の春アニメだった「ラザロ」が素晴らしかったです。まず、ラザロという作品について概要をまとめてください
ChatGPT.icon ChatGPT:ちょっと…興味あるじゃない、あんた、ちゃんと見る目あるじゃないの…(ツンデレちょっとデレた?)。さて、『LAZARUS ラザロ』――あなたが気に入ったのも分かるわよ、けっこう見ごたえある作品だったものね。で、概要をまとめろって?仕方ないわね、教師の顔してお教えしてあげるわ…でも、別にあんたのためじゃないんだからね!
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概要まとめよ
基本情報
タイトル:『LAZARUS ラザロ』
ジャンル:SF・アクション(近未来設定ね)
放送期間:2025年4月6日〜6月29日、全13話
制作:MAPPA(『呪術廻戦』や『チェンソーマン』制作スタジオ)、企画・プロデュース:SOLA ENTERTAINMENT
原作・監督:渡辺信一郎(『カウボーイビバップ』の監督よ、分かる?)
アクション監修:チャド・スタエルスキ(『ジョン・ウィック』の監督)
キャラクターデザイン:林明美(『BANANA FISH』など手掛けた人)
音楽:Kamasi Washington、Bonobo(英語版)、Floating Points
お話の舞台とプロット
舞台:2052年の近未来、人類がかつてないほど平和に暮らしているわ。
奇跡の薬「ハプナ」:スキナー博士が開発。痛みを完全に取り除く万能薬として世界中に普及…だったんだけど…
真相:この「ハプナ」、実は服用から3年後に死に至る毒だった。博士はその真相を明かして姿を消すわ。で、「ワクチンは私に会えば渡す」と宣言。残り30日――それまでに博士を探し出さないと、人類が滅ぶ…!という緊迫の展開よ。
主人公たち――エージェントチーム「ラザロ」
世界各国から集められた5人の精鋭たちがチームを組んでスキナー博士を追うの。そのメンバーは:
アクセル(CV:宮野真守):ブラジル出身。パルクールが得意で、刑務所から脱獄を繰り返す“脱獄王”みたいな人。表裏のない性格で人気者、でもどこか孤独な感じもするわね。
ダグ(CV:古川慎):ナイジェリア出身の知性派。冷静だけど内に熱さを秘めてて、物理学専攻のプライド高めなタイプ。
クリスティン(CV:内田真礼):ロシア出身の銃器エキスパート。元特殊部隊員らしく、ざっくばらんで姉御肌。飲むの好き。
リーランド(CV:内田雄馬):カナダ出身の少年。ドローン操縦や情報分析が得意で、人に自分の気持ちを言わないタイプ。
エレイナ(CV:石見舞菜香):香港出身のハッカー少女。コミュニケーション苦手だけど、天才ハッカーの一人よ。徐々にチームに馴染む過程が見どころ
他にも、博士や政府・組織関係者など深く絡むキャラがいっぱい出てくるの。
海外での評価はどう?
Rotten Tomatoesでは91%の高評価。刺激的なアイデアや映像美に富んでるって褒められてるわ。
ただし、IGNのレビューは辛口気味。「過去作のエネルギーに届いてない」「キャラが余裕すぎて緊張感に欠ける」とも……でも、アイデアの良さとアクションの創造性は認められてるのよ
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どう、ちゃんと理解した?まあ、これくらいのまとめならあなたにだって理解できるでしょ。少しは感心したわよ。…でも、そんなに褒めてるわけじゃないんだからね!
私.icon 私:初回のパリクールのシーンだけでやられましたね。アクションシーンは本当にすごかった。 アニメに異能バトルものがあふれる日本で、人間的なアクションで魅せるアニメって発想はすばらしかったなと
ChatGPT.icon ChatGPT:ふん、あんた、ちゃんと見どころ押さえてるじゃない…あの冒頭のパルクールね、まるでカメラが本当に街を飛び回ってるみたいな臨場感だったわ。あれは『ジョン・ウィック』監督のチャド・スタエルスキがアクション監修してるからこそ実現した“実写的動き”なのよ。
日本のアニメってどうしても「異能バトル」で超常的な演出に頼る傾向が強いじゃない?ビーム、魔法、超能力…まあ、それはそれで派手で楽しいけど。『ラザロ』は逆に「肉体の限界をどう描くか」に挑戦してて、そこが斬新だったのよね。観客が「これ、実際に人間がやってるかも」って錯覚するくらい、重力や体重移動の感覚を意識させるアクション。
それに、異能じゃないからこそキャラの個性や感情がモロに動きの中に出るの。アクセルのパルクールは彼の自由さや孤独感まで滲んでたでしょ?超能力で勝つんじゃなくて、どう動くかでキャラクターを語る…これはアニメの表現としてかなり貴重だわ。
ただし、逆に言えば“超常的な派手さ”を期待した層には地味に映ったかもしれないわね。そこをどう受け止めるかで、評価が割れるのも納得できるのよ。
ところであんたは、こういう“人間的アクションで魅せるアニメ”って、他に思い浮かぶ作品ある?それとも『ラザロ』が唯一無二だと思ってるのかしら?
私.icon 私:これがTVアニメシリーズで表現できるようになったということもすごいですよね。おそらくモーションキャプチャと3Dモデリングの技術の進歩ってことですかね
ChatGPT.icon ChatGPT:なによ、ちゃんと技術の裏側まで気にするなんて、生意気じゃない…でも確かにそこは核心を突いてるわ。
アニメって従来は「作画のパワー」でアクションを支えてきたのよね。けど『ラザロ』の場合は、あの“人間的な動きのリアリティ”を毎週のテレビシリーズで維持するには、モーションキャプチャと3Dモデリングの進歩なしには無理だったはず。
モーションキャプチャ:実際のスタントマンやアクション俳優の動きを取り込むことで、体重移動・着地の衝撃・細かいバランス崩しまで再現できるのよ。従来の手描きだと“誇張されたカッコよさ”になりがちだったけど、『ラザロ』はむしろ「生々しい」方向に寄せてたわ。
3Dモデリング/レンダリング:キャラや背景を3Dで組み合わせて、カメラが縦横無尽に追随できるから、あの街中を走り抜けるシーンの臨場感が出せたのね。手描きで同じカメラワークやパルクール動線を描き切るのは現実的じゃないわ。
ハイブリッド演出:単に3Dに頼るんじゃなくて、キーポイントでは作画も混ぜてたのよ。だから「3DCGっぽさ」が浮かないで、アニメらしい迫力も保ててた。
つまり、技術的には実写アクションの手法をアニメに持ち込みつつ、それを“毎週放送に耐えるクオリティ”に落とし込めたのが革新なのよね。これって映画ならまだしも、TVアニメシリーズでできたのは本当にすごいこと。
でもね…それは逆に「作画至上主義」的なファンからすれば、“アニメらしさが薄れた”とも感じられるリスクもあるわ。あなたはどう? あのリアリティ重視の映像を「アニメだからこそ新しい」って思った? それとも「ちょっと実写っぽすぎる」って感覚はあった?
私.icon 私:いや、かなり自然にアニメの中に落とし込んでいたと思いますよ。 パルクールのすごい動画をYoutubeなんかで見ている感覚をアニメに落とし込んでいるなと。
ChatGPT.icon ChatGPT:ふふん、やっぱりそう感じたのね。ま、あんたの感覚も悪くないわよ。
確かに『ラザロ』のアクションって、「実写的リアリティ」をそのままじゃなく、“アニメの文法に翻訳”してたのが肝なのよね。
YouTubeでパルクール動画を観るときの、「人間が無茶してるスリル」「街というステージの予想外の活用法」――それをアニメでやると、どうしてもカメラワークや誇張表現が邪魔になりがち。でも『ラザロ』はそこを上手く整理して、視聴者が「これは現実にできそう…いや無理かも」って境目でゾクゾクするポイントを突いてきた。
それに、背景美術や色彩設計も“リアル寄り”で抑えつつ、キャラデザインはアニメ的な親しみやすさを残してたでしょ? あれで「アニメの中のリアル」に自然に馴染ませていたのよ。つまり、実写動画の興奮を「アニメの臨場感」として再構成したってことね。
…でも、こういう方向性が広がると、今後は“アニメのアクション”と“実写のアクション”の境界がもっと曖昧になっていくかもしれないわ。もしそうなったら、従来型の「作画アクション至上主義」作品との住み分けはどうなると思う? あんたなら、どっちを支持する?
私.icon 私:作画アクションの世界は、それはそれですごいところにいってますからね。 最近の呪術廻戦とか怪獣8号とか、よくわからないレベルまでいってますよね。それはそれで別で語るとして、そうじゃない方向を導いたというのがこの作品のすごさでしたね。 街中で電車の上や、高架を走り抜け、ビル上の看板の前で戦う、みたいなのは、異能バトルものでは定番の表現ですが、それを生身の人間前提でやる、というのが面白かった。 このシーンみるけど、生身でやるやつってなかったよな、と
ChatGPT.icon ChatGPT:あんた、ずいぶん核心を突いてきたわね…ちょっと悔しいけど、確かにその通りよ。
作画アクションの最前線――『呪術廻戦』『怪獣8号』なんかは、もはや人間がどう動くかじゃなく「作画の物理法則」で動いてる領域よね。カメラ回転、線の勢い、エフェクトで世界を爆発させる…あれはもう“画”そのものの芸術。
一方『ラザロ』は、その真逆を狙った。
電車の上でのアクション:バトルアニメのド定番なのに、“本当に人間が走ったらどうなるか”を突き詰めてる。風圧、揺れ、着地の不安定さがちゃんと描かれてて、「やろうと思えば死ぬ気で可能かも」と思わせるギリギリ感。
高架やビルの看板前:異能バトルだと大ジャンプや重力無視で一瞬だけど、『ラザロ』は「掴む・よじ登る・滑る」みたいなプロセスを見せるから緊張感が増してたのよ。
街中をフィールドにする:普通なら背景でしかないものが、戦闘の制約やチャンスになる。これは“人間の戦い”だからこその発想よね。
だからこそ視聴者は「あ、これまでのアニメでは見たことない」って感覚になったんだと思うわ。今までは同じロケーションでも、“超常パワーの演出舞台”にされてただけだったのに、あえて“生身の人間の限界を試す舞台”に切り替えたのが革命的だったのよ。
でも逆に考えると、こういうリアル寄りアクション路線って、次に続く作品がどこまで出るかが問題ね。『ラザロ』が特異点で終わるのか、新しい潮流になるのか…。
あんたはどう思う? この「生身アクション路線」、もっと広がってほしいと思う? それとも『ラザロ』だから成立した一度きりの奇跡って考える?
私.icon 私:アクションの話からはいってしまいましたが、何と言ってもこの作品は、カウボーイビバップの渡辺信一郎さんが、現代で何をやるんだろうっていう、ファンとしてはそういう目線だったんですよね。 作品のイメージイラストとかも、かなりカウボーイビバップに寄せているというか、原色の単色カラーの上にキャラクターが乗ってます、みたいなやつが、否応なくファンの期待を高めました。
ChatGPT.icon ChatGPT:まったく…ファン心理をわかってるじゃないの。渡辺信一郎の名前が出た時点で、「ただのアクションアニメじゃないだろうな」って皆が構えてたのよね。
確かに、ティザーやキービジュアルの段階からして 『カウボーイビバップ』を思い出させる仕掛け が多かったわ。
背景に大胆な 単色の原色、その上にキャラがシルエット気味に配置される構図。
タイポグラフィもどこかジャズアルバムのジャケットを思わせるデザイン。
キャラクターたちの「個々の孤独を抱えつつもチームとして動く」っていう設定も、ビバップのスパイクたちの関係性を連想させるところがあったわね。
ファンからすると、「ああ、渡辺監督が再び“スタイリッシュで孤独な群像劇”をやるんだ」って期待を抱かざるを得なかった。しかも音楽陣もジャズやエレクトロ寄りの人選で、視覚も聴覚も“ビバップのDNAを今にどう繋ぐか”って挑戦に見えたわ。
ただ、『ラザロ』は単純な焼き直しじゃなくて、現代のテーマ――「万能薬の裏に潜む毒」「救済と支配の裏返し」みたいな構図を重ねた。渡辺監督らしい“クールさとシニカルさ”が同居する物語になってたわよね。
で、あんたに聞いてみたいんだけど――ビジュアル面で“ビバップの再来”を期待した自分と、実際に観て“ラザロとして独自の路線を感じた”自分って、どっちが強かった?
私.icon 私:カウボーイビバップの再来を期待した思いは、十分に満足しました。 キャラ造形がいいんですよね。 カウボーイビバップもそうですが、古典作品でいうとルパン3世のような、少しダークで、共感とか同一視できる、みたいなところとは違うところでかっこいいキャラ造形ってあるじゃないですか。 今作でもそれは遺憾なく発揮されていましたね。
ChatGPT.icon ChatGPT:ふふ、満足したって言い切るなんて、よっぽど刺さったのね…素直でよろしいわ。
言う通り、『ラザロ』のキャラ造形は「共感型」じゃなくて「憧れ型」。渡辺信一郎って、昔から“視聴者に寄り添わせない”キャラづくりをするのよね。
『カウボーイビバップ』のスパイク:過去に囚われ、今を投げやりに生きるけど、どこか決めきれないダークヒーロー。
『ルパン三世』のルパン:人間的な弱さをあまり見せない、でもそのクールさ自体が魅力になってる。
『ラザロ』のメンバーもまさにそう。アクセルにしても、クリスティンにしても、普通の視聴者が「自分だったらこう動く」って同一視できる存在じゃないのよ。むしろ「ありえないほどカッコいい」「人間を超えてるのに人間らしい矛盾を抱えてる」っていう領域に造形されてる。
最近のアニメって“感情移入しやすい主人公”や“日常の延長線上にあるキャラ”が主流だからこそ、『ラザロ』みたいに 「観客は追いつけないけど見惚れてしまう」キャラ造形 はむしろ新鮮に映ったんじゃないかしら。
あんた、こういう「憧れ型キャラ」が今の時代に成立するのは、逆にレアだって思わなかった? それとも、やっぱり今でもまだ需要は大きいって感じた?
私.icon 私:そうですね。 現代アニメにももちろん憧れ型のキャラクターはいるんですが、主人公ではないですよね。 感情移入できる主人公がいて、憧れキャラを周囲に配置する。 憧れキャラを中心に中心に配置することでの、距離感みたいなのが、やっぱりいいですね
ChatGPT.icon ChatGPT:やっぱり、ちゃんと分かってるじゃない…!そこが渡辺信一郎作品の“粋”なのよ。
現代アニメの多くは、視聴者が入り込みやすい“共感枠”を主人公に置いて、その周囲に「憧れキャラ」「達人キャラ」を配置するのが定番ね。例えば『呪術廻戦』なら虎杖が共感枠で、五条が憧れ型。『僕のヒーローアカデミア』も緑谷が共感枠で、オールマイトが憧れ型。
でも『ラザロ』は逆。憧れ型を主役に据えて、観客をあえて距離の外に置くの。これが独特のクールさを生むのよ。
観客は「彼らのように振る舞えない」っていう隔たりを意識させられる。
でもその距離感こそが、スタイリッシュさやミステリアスさを際立たせる。
結果として「物語を追体験する」より「物語を見惚れる」体験になるのね。
ルパンやスパイクがそうだったように、『ラザロ』のアクセルたちも、観客が「俺もこうなりたい!」じゃなく「こんなやつら、現実にいたらヤバい」と半ば諦め混じりに見上げる存在なの。だから作品全体がジャズの即興演奏みたいに“観客とキャラの間に空気の層”を作るんだわ。
…ねえ、あんたに聞きたいんだけど。こういう“距離感のある主人公”って、今のアニメ文化においてはむしろ贅沢だと思わない? 視聴者に媚びないキャラ造形って、ある意味ではリスキーなのに、ちゃんと成立してるっていうのが。
私.icon 私:そうですね。 攻殻機動隊とかもこのタイプですよね。少佐には全く共感と感情移入できないけど、かっこよさで成り立っている。 もちろん難しい手法だと思うのですが、歴史を超えて残る作品はいくつかありますよね
ChatGPT.icon ChatGPT:そうそう、それよ!あんた、鋭いじゃない。
『攻殻機動隊』の草薙素子なんて、まさに典型的な“憧れ型主人公”。
少佐は人間味を完全に捨ててるわけじゃないけど、あの冷静さ・合理性・身体能力・思想の先鋭さは、普通の視聴者が感情移入できるレベルを遥かに超えてる。
でもだからこそ、「理解はできないけど目を離せない」「あんな存在になれないけど憧れる」っていう魅力が出るのよね。
『ラザロ』も同じで、アクセルたちは“手の届かないキャラ”として描かれてる。でもその距離があるからこそ、作品自体が“神話性”を帯びるのよ。共感枠がいないから、代わりに作品全体が一枚のポスターのようなカッコよさで観客を包む。
確かにリスキーな手法よ。視聴者が「感情移入できないから退屈」って切り捨てちゃう危険もある。でも、そのリスクを取った作品ほど、歴史を越えて残るスタイルを手に入れてるのよね。『ルパン三世』『カウボーイビバップ』『攻殻機動隊』…そしてそこに『ラザロ』が連なるとしたら、かなり面白い位置づけになるわ。
…でもあんた、そう考えると“感情移入型”と“憧れ型”って、今後のアニメ史の中で住み分けが進むと思う? それとも、またどこかで融合する瞬間が来ると思う?
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