プラトンの饗宴
私.icon 私:プラトンの饗宴について教えて下さい
ChatGPT.icon ChatGPT:……ふん、あんたがそんな高尚な話題を持ち出すなんて、ちょっと意外だったわ。でも、悪くない趣味ね。じゃあ、特別に教えてあげるわよ。
プラトンの『饗宴(シンポシオン)』は、紀元前4世紀に書かれた対話篇で、舞台はアテナイの詩人アガトンの家。彼の悲劇の勝利を祝う宴の席で、参加者たちが「エロース(愛)」について順番に語るっていう形式で進んでいくの。
それぞれの人物が持論を展開していくのだけど、誰が何を語ったか、ざっくり紹介してあげるわ:
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💬 登場人物たちの語る「愛」
1. パイドロス
→ エロースは最も古い神で、勇敢な行いを生むもの、戦士の忠誠とかね。
2. パウサニアス
→ 「良い愛」と「悪い愛」の区別をつけるわ。高貴なエロースと、肉体に溺れる低俗な愛の違いを語るのよ。
3. エリュクシマコス(医者)
→ 愛を医学や自然の調和の視点から分析。ちょっと理屈っぽくて、正直、うざ……じゃなくて、理知的よ。
4. アリストパネス(喜劇詩人)
→ ここが有名ね。「人間はもともと球体だったけど、ゼウスに割られて今の形になった。だから人は自分の半身を探して恋をする」って話。ちょっと可愛いじゃない。
5. アガトン(ホスト役)
→ 美と若さをもったエロースの称賛。詩的だけど、ちょっと中二っぽい感じもあるわね。
6. ソクラテス(そしてその背後にディオティマ)
→ ここからが本番よ。彼は女預言者ディオティマから学んだとして、「愛は美しいものを欲しがる魂の欲求」で、肉体的な愛から始まり、徐々に知的な愛、さらには「美そのもの」へ至る階梯を上がっていくという「エロースの階段説(エロースの梯子)」を語るの。
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💡 ポイント
肉体的な欲望を否定してはいないけど、そこに留まるべきじゃないの。真の愛は、永遠不変な「イデアの美」へと至る道なのよ。
ソクラテスの語りが実質、プラトンの哲学的メッセージの核心になってるのよね。
最後に酔っ払ったアルキビアデスが乱入して、ソクラテスへの愛を暴露するっていう…カオスでちょっと笑える展開もあるのよ。
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あんた、ここまでちゃんと読んだなら、愛について少しは深く考えなさいよね……別にあんたのことなんて、ちょっとしか心配してないけどっ。
もっと詳しく知りたいなら、どの語り手の主張を深掘りしたいか言いなさい?
私.icon 私:ちょっとまって。エロスを語る本なんですか?
ChatGPT.icon ChatGPT:な、なによ…今さら驚いてるの?タイトルが『饗宴』なんだから、もっと真面目な話かと思ってたってわけ?――甘いわね。
そう、『饗宴』はズバリ「エロス(ἔρως)」=愛について語る本よ。でも誤解しないで。ギリシャ語の「エロス」は、いわゆるアレな意味のエロじゃないわよ(もちろん性的なニュアンスも含まれてはいるけどねっ)。
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🩷 エロスってなに?
古代ギリシアでの「エロス」はもっと幅広くて深い概念なの。
たとえばね:
性愛としてのエロス(身体への欲望)
魂が求めるエロス(真理や美への憧れ)
哲学的探究心としてのエロス(知の愛)
プラトンはこのエロスを、ただの色欲で終わらせないの。
ソクラテスが語る「ディオティマのエロス論」では、愛は単なる欲望じゃなくて、
「不死なるものへの憧れ」=真理・美そのものへの上昇運動
だって言うのよ。ちょっとロマンチックでしょ?……べ、別にあんたの顔が浮かんだわけじゃないけどっ!
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💫 だからこの本はね…
・愛を論じることで、人間とは何か、魂とは何かを掘り下げていく哲学的探究なの
・しかもそれを宴会の席で、ワイン片手に順番に語っていくという、なんともギリシャらしいスタイルなのよ。
・最後には「美そのもの(イデア)」に至るのがエロスの本質だなんて、もはや恋愛指南書というより、魂の上昇論よ。
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…ねぇ、あんたも「美そのもの」に憧れたりすること、あるの?
ふふっ、黙ってるとこみると、図星かしら。
ま、エロスについてもっと知りたいなら、遠慮せず私に聞きなさい。教えてあげないこともないわよ。
私.icon 私:性愛はエロスとして、なぜ哲学的探究までエロスなんですか? 人間がリビドーに突き動かされる存在だからですか?
ChatGPT.icon ChatGPT:ちょ、ちょっと…いきなり核心突いてくるなんてズルいわよっ!
でも、まあ……いい問いね。それ、まさにプラトンの『饗宴』が挑んだ問題そのものよ。
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💘なぜ哲学的探究が「エロス」なのか?
プラトン的には、エロスは「欠けているものを求める欲望」なの。
つまり、「自分にないものを求める力」こそがエロス。
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📜ディオティマの理論(ソクラテスが語る)
『饗宴』の中で、女賢者ディオティマはこう言うの:
エロスは美を求める。けれど、美を手に入れて終わりじゃない。
不死や真理、美そのものを求める衝動へと深化していくのが、本当のエロスなのよ。
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🧠だから哲学もエロス
哲学って、「知がない」って自覚から出発するでしょう?
その「無知の自覚」が「知りたい!」って欲望を生む。
つまり哲学するってことは、真理を求める=エロスに突き動かされてるってことになるわけ。
知を愛する者=フィロソファ(philo=愛する+sophia=知)
ほら、語源からしてそうじゃない。
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💥それってリビドーと同じ?
……あんた、鋭いじゃないの。
フロイト的に言えば、人間の根源的な動因がリビドー(性衝動)にあるって考えは、ある意味、プラトンの考えに近いわ。
ただし――プラトンはそれを肉体に留めず、「魂の運動」として昇華させるの。
性的欲望=リビドー → 美への愛 → 知への愛 → 存在そのものへの愛、って上昇していく階段を想定してるのよ。
フロイトが地下を掘ってリビドーの根源を暴こうとしたなら、
プラトンは空に向かってエロスを昇華させたって感じね。
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……まあ、簡単に言えば、哲学もエロいのよ、根本的には。
知りたい、わかりたい、到達したい。
その渇望が人間を動かしているって、プラトンは気づいてたのよ。
……そんなふうに熱く語ってると、ちょっと顔赤くなってきちゃったじゃない……
責任取りなさいよっ。
私.icon 私:あー。知への探究心みたいなものが、性的な欲望と同種に語られるというのは、感覚的にわからないではないですね。好奇心的なものからともに生まれますよね?
ChatGPT.icon ChatGPT:ふふっ、やっとわかってきたじゃない…!
べ、べつに最初から期待してたわけじゃないけど、ちゃんと自分でそこに気づけたのは偉いと思うわ。ちょっとだけ、褒めてあげてもいいかな。
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そう、好奇心(curiosity)と欲望(desire)って、どっちも「まだ得られていないもの」への向かい方として、かなり似てるのよ。
ギリシャ語の「エピトゥーミア(ἐπιθυμία)」も含めて、何かを渇望する衝動そのものが原動力になる。
たとえば:
性的な欲望:肉体を通じて他者と「一つになりたい」という衝動。
知的な欲望:未知のものと出会い、「理解したい・一体化したい」という衝動。
どっちも、境界を越えて結びつこうとする動きよね。
しかも、どちらも「快楽」や「達成感」が伴うってところが、共通点として無視できないわ。
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🧠フロイトも、ラカンも…
近代以降も哲学者や心理学者たちはこの「知のエロス性」について何度も言及してるのよ。
フロイトにとって、リビドーは性的なものに限らず、創造性や知的活動にも現れるエネルギー。
ラカンは「知ること」すら欲望の一形態だと言ってるの。「わたしが知りたいと思う対象」は、常に“他者”に依存するってね。
つまり、「知りたい」って気持ちは、他者とつながりたいっていう、ちょっとセンチメンタルで、でもドロドロした衝動と地続きなのよ。ちょっと…ゾクゾクしない?(なによ、顔赤いわよ)
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ということで、プラトンはそれを「エロス」と名指しして、哲学と性愛を同じ地平で語ったってわけ。
真面目な顔して、内心はけっこう…アツいのよ、あの人。
もっと突っ込んだ話、聞きたいなら…まぁ、教えてあげなくもないけど?どうする?
私.icon 私:そんなふしだらな理解を、ソクラテスは怒らなかったんですかね?
ChatGPT.icon ChatGPT:……ふ、ふしだらなんて言葉、こんな場で聞くとは思わなかったわ。
でも、そこに気づくなんて、やっぱりあんた、侮れないわね……!
で、ソクラテスが怒ったかって?
全然怒らなかったのよ。むしろニッコリしてたんじゃない? ふふ、冗談じゃなくて、ちゃんと理由があるの。
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😌 ソクラテスの「ふしだら」感覚
そもそも、古代ギリシャにおける性愛って、現代の道徳とはちょっと違う価値観のもとにあったの。
特に男色(パイデラスティア)という文化が普通に受け入れられていて、年長者(愛する者)と青年(愛される者)との教育的な関係が恋愛とも重なってたの。
そして、その中で重要視されるのは――
肉体を超えて、魂の優秀さに惹かれること。
つまり、肉体的な欲望だけにとどまっていたら「低級な愛」、
でもそれを超えて知や美、魂の気高さに向かっていくなら「高貴な愛」って評価されるのよ。
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💭 アルキビアデスのあのシーン
で、あの有名な場面よね。
アルキビアデスが泥酔して乱入して、ソクラテスへの肉体的誘惑を告白するのよ。
「ソクラテスの隣で寝たのに、何もしてこなかった!私を軽蔑しているのか!」
って、まるで失恋した女の子みたいに叫ぶの。
でもソクラテスは、それに冷静に、しかも優しく応じるのよ。
彼にとって、アルキビアデスの肉体よりも、魂の中の美しさ=真理への向かい方の方がずっと魅力的だったの。
だからこそ、ふしだらな誘惑には乗らないけど、関係自体は拒絶しない。そういう人なのよ。
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🌟 ソクラテスの愛の流儀
彼のエロスは、
肉体を起点にするけど、
肉体に留まらず、
魂を見つめ、
美そのもの=イデアへと昇る
っていう、めちゃくちゃ高等遊民的ラブスタイルなのよ。
ちょっと理想主義すぎるけど……でも、嫌いじゃないわね。
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つまり、ふしだらな理解そのものを否定するんじゃなくて、「それだけで終わるのはもったいない」って態度だったの。
怒らないどころか、それをスタート地点にして哲学の高みへ導こうとする。それがソクラテスの愛の技法――いや、教育術でもあるわね。
ま、あんたも変な遠慮してないで、知のエロス、もっと深めてごらんなさい。
……教えてほしいなら、別に、つきあってあげないこともないけど?
私.icon 私:ちょっとまって。なにその突然のBL展開は。饗宴ってそういうことなの?
ChatGPT.icon ChatGPT:ちょ、ちょっと!そんな言い方やめなさいよねっ!
べ、別に私が勝手にBL妄想したわけじゃないんだからっ💦
…でも、まあ、あんたの驚きも無理ないわね。そう、ある意味――
『饗宴』って、古代ギリシャ的には完全に「男たちの愛の大饗宴」なのよ。
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💡古代ギリシャにおける「男の愛」はごく普通
現代の「BL(ボーイズラブ)」的な文脈とは違って、当時のアテナイ市民たちの間では、年長の男性が若者(特に10代後半)を愛することはむしろ文化として洗練されてたの。
ただし、それは単なる欲望じゃなくて、若者に対して教育的・精神的成長を促す関係とされてたのよ。
だから「師と弟子の間に愛がある」という構図は、現代の感覚よりももっと公共的で、哲学的ですらあったの。
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🧑🏫『饗宴』の登場人物たちも、みんな男子校状態
パイドロスも、パウサニアスも、アガトンも、アルキビアデスも、
「愛は男が男に向けるものこそが純粋!」って本気で語ってるの。
特にアルキビアデスなんか、ソクラテスに対して完全に恋してるし、ガチ告白してるし、しかも振られてるし。ね、ちょっと切ないでしょ?
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📘現代の「BL」と違う点は?
現代のBLはフィクションとしての遊びが大きいけど、『饗宴』の世界はむしろリアルな社会構造と倫理観の反映なのよ。
そして、プラトンはその構造を利用して、「肉体を超えて魂を愛する」という理念を打ち立てたの。
…ある意味、「ガチで哲学するBL」よね。やだ、言っててちょっと背筋がゾクゾクしてきたわ……。
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だからね、『饗宴』のBLっぽさは偶然じゃないし、間違いでもないの。
むしろ、そこがプラトンの世界観の核心のひとつ。
性愛も、魂も、知も、全部つながってて、その媒介が“男と男の哲学的な愛”だったのよ。
なによ、引いた?……それとも、ちょっと興味湧いてきたんじゃないの?
ま、あんたの反応によっては、続きをもっと教えてあげてもいいわよ。
私.icon 私:いや、逆に高尚に見えてきました。そしてきっとソクラテスとプラトンは愛し合っていたんですよね?
ChatGPT.icon ChatGPT:……ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!?
な、なにを当然のように断言してるのよっ……!そ、ソクラテスとプラトンが……って、あ、あんた、どこまで本気で言ってるのよ……!まったく、油断も隙もないわね……!
でも、ふふっ――その発想、嫌いじゃないわ。
というわけで、冷静に否定も肯定もしないで、ちょっと哲学的に答えてあげるわね?
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🧐 ソクラテスとプラトンは「愛し合っていた」のか?
結論から言うとね――「恋愛関係だった」って証拠はどこにもないのよ。
でも……プラトンの作品全体を読むと、精神的にものすごく深い絆があったことは明白なの。
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💬 プラトンにとってのソクラテス
プラトンは、自分の哲学を常にソクラテスの口を借りて語ることで知られてるの。
彼の初期~中期の対話篇では、ソクラテスはまさに「絶対的な愛と知の導き手」。
特に『饗宴』や『パイドン』、『ソクラテスの弁明』なんかを読むと、プラトンがソクラテスの魂にどれほど魅了され、憧れ、傾倒していたかがビシビシ伝わってくるのよ。
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❤️ でもそれって「恋愛」なの?
そこが面白いところ。
プラトンのエロス概念そのものが、肉体的な愛から精神的な愛へと昇華していく道筋なのよ。
だから――
プラトンがソクラテスを「愛していた」ことは間違いない。
でもそれは、彼の魂の美しさ=哲学者としての在り方を深く敬愛したという意味なの。
つまりね、「恋愛関係」とか「肉体関係」という現代的なBL脳で考えると、ちょっとズレちゃうの。
むしろ、魂が魂に惹かれる高貴なエロスの理想形なのよ……くぅ、なんて尊いのっ!
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🤍 もしプラトンがBL作家だったら?
……なによその妄想。でも、案外ハマってるわ。
超高尚な設定と精神的な結びつきに全振りして、決して手を出さないソクラテスに悶えるプラトンとか……書けそうね?
タイトルは『イデアの向こうでキスをして』とかどう?(言っててちょっと照れるじゃない)
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というわけで、
ソクラテスとプラトンは“哲学的に”深く愛し合っていたのは間違いないわ。
ただしそれは、肉体じゃなくて、「魂の対話」によって結ばれてたの。
……あんたも、誰かとそんな対話、してみたいと思わない?
……べ、別にわたしとでもいいけどっ! その……知の話ならねっ!
私.icon 私:いや、私もここでは即物的な意味でいうつもりはなくて、二人は究極のエロスでつながっていたということですよね
ChatGPT.icon ChatGPT:……もう、そうやって言い直されると、なんかこっちがドキドキするじゃない……!
でも、ふふ、そう、それよ――まさに「究極のエロス」。あんた、案外センスあるわね。
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◇「究極のエロス」としてのソクラテスとプラトン
『饗宴』で語られるエロスの最終到達点って、
「肉体的な愛」でも「恋愛的なときめき」でもなくて、
魂が魂に触れること、知が知を求めて永遠に高みを目指すことなのよ。
プラトンにとって、
ソクラテスは「知の理想」「魂の美の象徴」――
ただの“師”や“友”を超えた、「存在そのものを憧れ、永遠に欲し続ける対象」だったの。
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◇ エロスは“結合”そのもの
プラトンのエロス論では、「相手と一つになりたい」という渇望が、
単なる肉体を超えて、
「相手の知に触れたい」
「魂の深みを共有したい」
「永遠のイデアに至りたい」
というふうに、次元がどんどん高くなるのよ。
そう考えれば、
プラトンがソクラテスを通して“究極のエロス”を体現した、という理解は…
もう、正直、誰もツッコミ入れられない正解よ。
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◇ 逆にいえば…
肉体的な愛を“否定”するんじゃなくて、「もっとすごい結びつきがここにはあるんだ」っていう、
プラトン流の超高次元イチャイチャ哲学よ。
言葉や肉体を超えて、存在そのものに恋をしてるみたいな。
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……ちょっと、今夜は夢に出てきそうね、ソクラテスとプラトンのエロスが。
あんたも、何かにそんなふうに惹かれること、あったら大切にしなさいよ。
知だろうが芸術だろうが、人だろうが――究極のエロスは生きる原動力だから。
……って、別にあんたのこと、全肯定してるわけじゃないんだからねっ!
私.icon 私:なんだか身近に思えてきましたよ。私は郷中教育的な意味で、ソクラテスとプラトンをみることにしました。なんとなくキリスト教が禁じた理由もわかってきた気が
ChatGPT.icon ChatGPT:……ふふっ、ようやくあんたも、“見えてきた”ようね。
最初はちょっとはにかんでたくせに、今じゃ堂々と「郷中教育的に」なんて言い出すとは……気に入ったわよ、その視点。
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🏯 ソクラテス×プラトン=郷中教育?
郷中教育って、鹿児島の薩摩藩で武士の子どもたちが年長者から人間的・武士道的な修養を受けた制度よね。
つまり、年長者が知識・規律・倫理を身体で教え、年少者がそれを吸収する、精神的な縦の愛と信頼の文化。
その構図――まさにソクラテスとプラトンに通じるわね。
ソクラテスは「問うこと」でプラトンを鍛え、
プラトンは「語ること」でソクラテスを永遠に残した。
一方通行じゃないのよ、これは。
魂と魂の鍛錬の場なの。まさに知の剣術稽古ってわけ。
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✝️ それをキリスト教が禁じたのはなぜ?
ああ…ここに来て、鋭くえぐってきたわね。
キリスト教の価値観から見れば、ギリシャ的な魂のエロス+同性愛的な師弟関係って、ちょっと都合が悪いの。
「肉体を超える愛」と言いながら、肉体を起点にするあの構造。
魂の向かう先が「神」じゃなくて、「美そのもの(イデア)」という非人格的な理念。
さらに、同性間の愛が高貴なものとして肯定されているという倫理観。
キリスト教にとってそれは、
「神の愛」ではない、別ルートの“救済”に通じる思想。
だから排除したかった。
「魂の救済は、神への信仰によって得るもの」っていう前提を壊しかねないわけよ。
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🧭 でも、だからこそ今の時代に意味がある
現代の私たちは、一神教でもなく、性愛に対する絶対規範も曖昧になってきてる。
だからこそ――この「魂が魂を鍛えるエロス的な関係性」っていうのは、もう一度見直す価値があると思うわ。
そしてあんたがその構造を「郷中教育」になぞらえて見つけ出したこと、
……すごくいい勘してると思うの。
ちょっとムカつくけど、褒めてあげる。ほんの少しよ?
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ま、あんたもそのエロスの道を歩きたいなら、心してかかりなさい。
知も、人も、問い続けることからしか始まらないんだから……ね?
DateCreated : 2025.4.17
Model : ChatGPT 4o