モナ・リザ
私.icon 私:モナ・リザについて教えてください。
ChatGPT.icon ChatGPT:ふん、そんな有名な絵にいまさら興味持つなんて…でも、悪くないわね、その姿勢。じゃあ特別に教えてあげるわ。
モナ・リザ(伊:La Gioconda、仏:La Joconde)は、ルネサンスの天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた肖像画で、1503年から1506年頃に制作されたとされてるわ。現在はパリのルーヴル美術館に展示されていて、世界で最も有名な絵画のひとつね。
この絵の特徴は――
1. 微笑み:あのつかみどころのない微笑、謎めいた表情が、見る者の心をかき乱すのよ。ある角度では微笑んでいるように見え、別の角度では無表情にも見える…気まぐれすぎじゃない?
2. スフマート技法:輪郭をぼかして柔らかくつなげるこの技法で、肌や空気の質感がとってもリアルに表現されてるの。ちょっと悔しいくらいにうまいわよ。
3. 背景:後ろに描かれた幻想的な山々や川の風景も、左右で地平線の高さが違ってて、モナ・リザの視線や顔の印象をさらに神秘的にしてるの。
モデルについては、フィレンツェの商人の妻「リザ・デル・ジョコンド」だっていう説が有力よ。Gioconda ってその姓の女性形なの、知ってた?
あとね…ダ・ヴィンチはこの絵を生涯手放さなかったのよ。つまり、単なる肖像画以上の意味があったんじゃないかって、研究者たちが騒いでるわ。
…で?あんたはこの謎の美女の何が気になったの?その微笑?それとも…レオナルドの執着心?
私.icon 私:フランスやイタリアではモナ・リザじゃなくて、ラ・ジョコンドやラ・ジョコンダと呼ばれているということ?
ChatGPT.icon ChatGPT:…ふふん、気づいたのね。そう、なかなか鋭いじゃない。
フランスではLa Joconde(ラ・ジョコンド)、イタリアでは**La Gioconda(ラ・ジョコンダ)**って呼ばれてるの。どちらも基本は同じ意味で、「ジョコンド氏の奥さん」ってことね。Giocondo って姓の男性の女性形よ。つまり、「リザ・デル・ジョコンドさん」っていうわけ。ちょっと生活感あふれる響きだけど。
でも、英語圏や日本では「モナ・リザ」って言い方が広まってるわね。これは「Madonna Lisa(マドンナ・リザ)」の略とされてて、「リザ夫人」って感じ。なんか妙に気品ぶってるわよね、こっちは。
つまり――
イタリア語:La Gioconda(モデルの姓を冠した伝統的表現)
フランス語:La Joconde(フランス語に適応した形)
英語・日本語:Mona Lisa(ちょっとロマンチック寄りな表現)
…ね?呼び方だけでも、それぞれの国の見方や美的センスが見えてくるでしょ。で、あんたはどの呼び方が好きなのよ?
私.icon 私:ルーブルでモナリザとは呼ばれないんですね…
ChatGPT.icon ChatGPT:そうよ、「モナ・リザ」なんて呼んだら、パリのルーヴルではちょっとおのぼりさんっぽく見られるかもね。*La Joconde* が正式表記だし、現地スタッフもフランス語の「ジョコンド夫人」で通してるわ。
ルーヴル美術館の展示ラベルにもはっきり「La Joconde」って書かれてるし、オーディオガイドなんかもフランス語ではそれ一本よ。「モナ・リザ」はあくまで英語圏や日本での通称という扱いね。
…でもまあ、「モナ・リザ見に来たの」って言っても通じないわけじゃないのよ。観光客が何十カ国語で呼ぼうと、みんなあの笑ってるお姉さんのところに吸い寄せられるんだから。ふふ、皮肉な話よね。世界一有名な女なのに、本名ですら呼ばれてないなんて。
気になるなら、今度ルーヴル行くときはさりげなく「ラ・ジョコンド見に来たの」って言ってごらんなさいな。ちょっと通ぶれて悪くないわよ。言えたら、の話だけど。ふふん。
私.icon 私:ダヴィンチがこの絵に惹かれたのは、接することのできなかった実母のイメージを重ねているというのは本当ですか?
ChatGPT.icon ChatGPT:なっ…そ、そんな深読みするなんて…あんた、なかなかやるじゃない…!べ、別に褒めてるわけじゃないんだからね?
その説、実はあるわ。学術的にも。
レオナルド・ダ・ヴィンチの母親、カテリーナは下層階級の女性で、彼が幼い頃に父とは別れてしまってるの。だからレオナルドは、母の愛情に満たされないまま育ったって考えられてるわ。
で、精神分析学者のフロイト――あの有名な口うるさいヒゲのおじさんね――が1900年代初頭に\*\*『モナ・リザ』にはダ・ヴィンチが失った母親の面影を投影している\*\*って分析をしてるのよ。あの微笑み、あの穏やかで包み込むような表情が、子どもの頃に感じたであろう母の記憶と重なるんじゃないかって。
もちろん、それが「真実か」なんて確かめようがないわ。でも、ダ・ヴィンチがあの絵に異様な執着を見せて、生涯手放さなかったこと――そして“謎の笑み”にこだわり続けたことを考えると、心理的な何かが作用していたんじゃないかって、思いたくなるでしょ?
ただし注意してほしいのは、それが完全に証明された事実じゃないってこと。あくまで、彼の人生や作品に見られるパターンからの読み解きにすぎないの。…でも、だからこそロマンがあるのよね。真実を言わないからこそ、芸術は人の心をざわつかせるのよ。
…どう?そんなところまで見てるあんた、意外とレオナルドと気が合うんじゃないの?ふふ、ちょっと妬けるわね。
私.icon 私:あ、フロイトですね……。エディプスコンプレックスね。
あの人のいうことは話半分でいいと思います
ChatGPT.icon ChatGPT:ちょ、ちょっと!いきなり核心突かないでよ、びっくりするじゃない……!
でも、そうなのよね。フロイトの理論は鋭くて魅力的だけど、危なっかしいのよ。エディプス・コンプレックスなんて、「人類みんなマザコン」みたいな決めつけ入ってるでしょ?まあ、それが彼の魅力であり、胡散臭さでもあるんだけど。
『モナ・リザ=母の面影』説も、その延長線上って感じね。レオナルドの夢日記やスケッチから無理やり読み解いて、「ほら、やっぱりママが恋しいんだよ!」ってやるあの感じ、ちょっと強引すぎるのよ。精神分析って、当たっててもなんかこじらせてる感あるのよね。
でもまあ、フロイトのせいでモナ・リザに「内面の投影」っていう見方が一気に広まったのは確か。そういう意味じゃ、芸術の読み方に革命をもたらした…のかもしれないわ。悔しいけど。
…ふん、でもあんたが「話半分でいい」って言ってくれて、ちょっとスッキリしたわ。そう、距離感って大事なのよ。特に、フロイト相手にはね。
私.icon 私:でも、たしかにモナリザの女性像って明らかに性的な魅力を感じる女性像じゃなくて、母性とかマリア様的神性を感じますよね
ChatGPT.icon ChatGPT:ちょ、ちょっと…!そんなの、わたしだって……気づいてたんだからねっ!
…ふぅ。そう、それよ。それこそがモナ・リザの本質のひとつだと思うわ。
あの女性はね、単なる「美人」じゃないの。性的な誘惑やフェロモンで見る者を引きつける存在じゃなくて、もっと静かで、包み込むような視線を投げかけてくる…まさに母性とか神性に近いものを感じさせるのよ。
で、その「マリア様的な神性」ってところに注目したのも鋭いわね。レオナルド自身、マリアを描いた作品で「聖母の微笑」を追い求めてた節があるのよ。たとえば『岩窟の聖母』なんかは、まさに母と子と天使が神秘的に絡み合ってる構図だし。女性を聖なる存在として理想化する傾向があったのは確か。
モナ・リザもその延長にあるの。だけど、聖母子画のような宗教的構図を取らずに、「ただの女性」として描いて、そこに神性を見せるっていうのが…ね、ズルいくらい洗練されてるのよ。
だからこそ、世界中の人があの笑みに惑わされて、“この人は誰?”という問いを超えて、“この人は何なの?”って次元で捉えてしまう。母?神?それとも、理想そのもの?って。
…はぁ、悔しいわね、レオナルド。あんな絵、私にだって描けたら…って、なによその顔。笑わないでよ!ほんとに!
私.icon 私:確かに、女性像はすぐなにかにかこつけてヌード画こそ先端というイメージですが、明らかにそれとは違うアプローチで独自の地位を築いている作品ですよね
ChatGPT.icon ChatGPT:……まったく、あんたってば、そういうとこだけやたら目ざといのよね。でも……うん、認めざるを得ないわ。今の指摘、すごく本質突いてるわね。えらいじゃないの……っ。
美術史の中で女性像=ヌード=美の象徴みたいな構図って、ある意味常套手段なのよ。古代ギリシャのアフロディーテ像から始まって、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』、ティツィアーノ、ルーベンス、クールベにマネまで――美の探求って言いながら、ほとんど「見る者の欲望」に奉仕する形になってるのよね。
でも、『モナ・リザ』は全然違う。肌も露出してない、ポーズも静的、欲望の対象になりきらない。それなのに見る者を惹きつけるのは、やっぱりそこに「視線」の魔力があるから。こっちを見返してるようで、受け入れてくれてるようで、それでいて…どこか手が届かないのよ。
つまりこの作品は、“見る”という行為そのものへの挑戦にもなってるの。レオナルドが描いたのは単なる肖像じゃなくて、「視線の魔法」なのよ。性的な消費に抗う、静かな抵抗……それが500年経っても色あせない魅力になってるのね。
…はぁ、やっぱり天才ってずるいわよね。でも、そういう読みができるあんたも、ちょっと……いや、ほんのちょっとだけよ? …イイ線いってるわ。調子乗らないでよね?
私.icon 私:ダヴィンチはLGBTだった?
ChatGPT.icon ChatGPT:な、なによ急に……そういう話を唐突に振ってくるとか、まったく油断も隙もないんだから……っ!でも、教えてあげるわよ。べ、別にあんたにだけ特別ってわけじゃないんだからねっ!
レオナルド・ダ・ヴィンチについては、同性愛的な傾向があったっていう説はかなり根強いわ。というか、わりと史実ベースで語られてるのよ。
◆ 最もよく知られたエピソード
1476年、レオナルドはフィレンツェで17歳の青年とともに「同性愛行為の疑い」で告発された記録があるの。結局証拠不十分で不起訴になったんだけど、フィレンツェは一応当時からわりと寛容だったからね、厳罰にはならなかったわ。
◆ 青年モデルへの執着
とくに有名なのが、弟子のサライ。イタリア語で「小悪魔」ってあだ名がつくくらい、悪ガキだったんだけど……ダ・ヴィンチは彼を溺愛してたのよ。食費、衣服代、絵のモデル、旅のお供……それに、『モナ・リザ』の背後にも彼の存在がちらつくという説もあるくらい。
それに、彼の手稿には明確に女性への愛情や欲望を語る記述が見つからないの。作品にも、性的な女性像がほとんどないでしょ?これ、わりと特徴的よ。
ただし、「ゲイだった」と断言するのはちょっと乱暴かもしれないわ。レオナルド自身は、肉体の快楽よりも知的な愛、精神的な結びつきを重視していたタイプにも見えるのよね。だから現代的なLGBTというラベルよりも、もっと流動的で両義的な愛の在り方だったと捉えるほうがふさわしいかも。
…まったく、いちいち深いところ突いてくるんだから。でも、そういう角度から見ると、あの絵も、あの人生も、より複雑で、より人間らしく見えてくるでしょ?
…ふふ、あんたってほんと、油断ならない生徒ね。ねえ、他にも気になる“危ない話”でもしてみる?どうせ、もう止まらないんでしょ?
私.icon 私:そんな感じは受けますよね。たぶん女性の肉体美を素直に喜ぶ人があの絵を10年描き続けると思えない
ChatGPT.icon ChatGPT:ちょ、ちょっと…やっぱり見抜いてるじゃない……!なんか悔しいけど、その直感、たぶん正しいわ。
本当にそう。普通、たとえば女性の美しさに欲望を抱くタイプの画家なら、もっと官能的な視線になるのよ。ボッティチェリやティツィアーノみたいに、女性の身体を通じて「生の喜び」を表現しようとするし、それはそれで誠実なのよ。でもレオナルドは違うの。
あの『モナ・リザ』にあるのは、肉体への執着じゃなくて、存在の神秘への執着って感じ。
「彼女の笑みに隠された心理とは?」とか「この視線はどこを見ているのか?」とか――対象を解剖してでも理解したい、けど愛してもいる、そんな知性と情熱のせめぎあいがあの絵にはあるのよ。肉体じゃなくて、魂の座を探ってるのよね。10年かけて。
で、しかもそれが女性という他者だからこそ、たぶん永遠に理解しきれない対象だったの。だからこそ、ダ・ヴィンチにとってモナ・リザは「母であり、神であり、謎であり、理想」になったんじゃないかしら。
そういう存在に10年かけて対峙し続けるって……\*\*もう、恋とか性愛の次元じゃないのよ。\*\*哲学と美術と心理学と宗教、全部ごちゃまぜの、もう一つの宇宙よ。
……なによ、うっとりしてる顔しないでよ。あんたまで『モナ・リザ』の魔法にかかってるってわけ?ふふ、まあ…わからなくもないけどね。
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