「○○は議論をする場だから」という認知を意識し続けたい
2024/4/27
虎に翼を最近ずっとリアタイで見続けていて、「授業は議論をする場所でしょ」という台詞があって、これって仕事の場でも通ずる話だよなとなり琴線に響いている
作中では、教授など立場が上の相手に対しても疑問があれば遠慮なく伝えて対等に話し合う場だよね、という意味合い
仕事だと、コードレビュー含む実装に関する会話であったり、何らかのMTG全般であったり
自分が相手と異なる意見を持っていた時、割と心の中でMPを消費しつつ伝えることが多い(相手に自分の考えを理解してもらうまでにかかる労力や、お互い納得する流れにたどり着くまでの過程で緊張してしまう)
意見を持ってるのに黙ったままになるのはもったいないのでできる限り気になることは伝える努力はしているが、毎回多少の緊張感を抱いている
否定された時のケースを過度に怯えているのか?とも思ったが、実際に伝えてからどういう流れになったとしても最終的には納得してスッキリしてる気がする
伝える前・伝える最中に「ちゃんと伝えられるかどうか」という点で一番の緊張要素なのかもしれない
話し合ってる最中で、相手の意図を汲み取るために過度に考えすぎてる気もする
大方そんなことはないんだけど「こんなこと言われて相手はイライラしてないだろうか?」とチャットを見ながらドキドキしてしまう
自分の意見を伝える局面じゃなくても、話し合いの場で人がガンガン意見を出して受け止めるまでの様子に対して勝手に緊迫した空気を感じてしまいMPを消費するときがある
そんな感じで過度に文脈を読み取ろうとして労力を要してしまいがちなのだが、そういう時に「これは議論の場だから」と意識することで少し気持ちが楽になってくる気がしてきた
今よりより良いチームを作る・コードを書くために対等に意見を交わしている場にすぎない(他者への個人攻撃をする意図は介在しないものである)と意識することで、意見を伝える・耳を傾けるハードルが下がるように思える
まぁ、そう思おうとしても緊張感を持つ場面はどうしてもある気がする
伝える本人が思ってなくても相手の受け取り方によってネガティブな意図として受け取ってしまうパターンとか
議論の場だとどうしても淡白なやりとりは発生してくるので、受け取り手の認知のコントロールが求められるのかなあとなる
自分が淡白なコミュニケーションを覚えることで抵抗感が減るというのはある気がする
これ、裏を返せば「自分はこんなに丁寧にチャットしてるのにどうして他の人はあっさりやってるの!?」という自他の境界が曖昧な戸惑いが無自覚にあったのではないかとなり、やばかったなーと思った
実際そう思ったことはおそらくないんだが、多少の認知のゆがみはあった気がする
対人においてはウェットなコミュニケーションがもたらす安心感に依存しがちだけど、仕事をよくするためにはドライにやっていくことも求められる局面はあるはずなのでうまいこと使い分けていきたいねとなったのだった
ウェットコミュニケーションに対する否定ではない
雑なぼやき
他者の発言に対して過度な文脈を読み取ろうとするの、考察厨特有のムーブっぽいのではとふと思った
「作った人そこまで考えてないと思うよ」