「パーティが終わって、中年が始まる」を読んだ
この本を読むモチベーションとしてギークハウス時代の思い出話を知りたかったのが一番大きかった
読んでみるとそれ以外の話含めて懐かしさを感じる要素が多くて面白かった
自分はまだ中年の自意識を持ってないけど、テン年代をモラトリアムの中で過ごした人間として共感できる要素が大きかった
京都で学生時代を過ごしていま関東で生活しているという共通点もあったりする
朝4時の河原町の空気感は手に取るように思い出せるけど、月に何回も徹夜してまで遊べる体力が当時あったことに驚く。今は年1,2回が限度だな……
最後の章の「猫との境界線が消えていく」の話が一番好き。スンスンとタマとの出会いの話は自分が一番読みたかった話が書かれていて渾身のマーカーを引いた
その後のあとがきを読んで切なくなる。あんなにかわいい生き物たちが生活にいた方の不自然さにほんの少し共感できる。実家の犬が亡くなった時に近いことを感じていたような気がする。ずっとひとりで過ごしている方が自分に似合っているとまでは思わないけれど、現実感のなさというか夢のような時間だったなと思う
人生の無意味さという本質に目を向けすぎるとやっていられなくなる感覚については分かる。そこを気にしてしまった時に適度に何かごまかすものがあると毎日を過ごす元気に繋がるのだろうなあと感じる
phaさんとじっくりお話しした機会は自分にはないのだけれど、phaさんの持ち合わせる要素は自分の友人に近しかったり、自分がインターネットでやってきて得たものと近しいものがある気がしてご近所さん気分をほんのり感じている気がする
休職日記を作りたくなった理由の一つとして「曖昧日記2 ~シェアハウス最後の日々~」の毎日日記を書き続ける構成って結構面白いのでは?となったのがあったのを思い出した
自分の人生の中のパーティ概念、第一次パーティが大学1~3回生の頃、第二次パーティが大学4~6回生にあったように思う。今は以前と比べれば緩やかかつ関わる範囲が狭くなった第三次パーティを過ごしている感覚。大学時代と比べれば内向的かもしれないが、悪い気はせずこれはこれで楽しいんだよなと感じている