観の目強く、見の目弱く
ぐぐると、語尾が違って印象が違うが、statement的な? 現在形がいいのかなと思った。五輪書は読んでないが。
どうしたら、観の目を使えるか。という問題意識にする。
観の目とは
自分を消して見ること。 また、一点を見ない。
"こんなことがあった。ひどい。" これは、前半は客観的、後半は主観的。
客観的になるとは、自分、すなわち主体を消し去ることだ。
マルクス・アウリレウスの場合はこんな訓練法だった...婉曲表現抜きで描写する....
敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ない
敵の「剣先を見る」とか「拳を見る」とかいった古い剣術の目付に対して、
敵の全体を遠くの山を眺めるような気持ちで観る目付を説いたものです。
現在でも剣道を初めとした武道では、このような目付が一般的です
遠山の目付け
自分の目を相手の目に向けたまま、その目のみに注視することなく、相手の頭のてっぺんから足の先まで全体を視野に収め、なおかつ左右の周囲の状況までに気を配れるような「目付」を心がけます。