人が多い事が、嫌になる思考
例
都会の電車
都会の街
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例から考えてみる
電車に人が多い。
何か、電車の乗っている人に対して、環境のせいで、ネガティブイメージを持ってしまうのがいやだなぁ。
温かみのある人じゃなくて、人間 人という自律性のある物体みたいな。
そんな人たちも、誰かの家族、誰かの同僚、誰かの友達であるのを思い出して、悲しくなるね。
まとめると
人間 人が多くいることで、群として捉えてしまう。
物理的接触、パーソナルスペースの侵害、騒音、匂い、などから、negative 悲観的な環境が作られる
negative 悲観的な環境に対するイメージや思いを、周囲の人間 人にも感じてしまう。
マクロ→ミクロ
SNSの、一定グループにラベリングして、何かイメージを押し付けてしまっているのも同じだと思う。
negative 悲観的な人に対するイメージを、同様に周囲の人も感じ、negative 悲観的サイクルになっていると言える。
そんな各1人1人も、誰かの家族、誰かの同僚、誰かの友達であるのを思い出して、自身の思考や環境に対して、悲しく、どうしようもなくなる。
会社の全体会や何か知っているグループの人が多い
これらの群には、嫌な思いをしない。
これは、各人に対して、positive 楽観的なイメージや一種の安全性 Secureを確証していることだと推測する。
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解決方法について
人が多いことに対する解決
人が多い所に行かない。
各人に対する思いを馳せる
群としてでなく、個人に対する慈愛を持つ。
感想:
自分には無理かなぁ。少なくとも、どんな自分の状況でもこれを持てる自信が無い。
世の中には、悪い人もいるので、そんな人に慈愛を持つことを自分は、出来ない。