集中とは「機械のように働く」こと
https://gyazo.com/8deb27c7d7b971309943eadec131760b
武器庫の自動機械
集中力はいらない (SB新書) p52-53より引用
今後、機械化がさらに進み、AIが人間に代わって多くの仕事をこなすようになる。仕事がなくなると危惧する声も多いが、仕事なんてなくなれば良いのではないか、と僕は考えている。機械に任せられるなら、任せれば良い。人間は今よりも自由になる。自由になったら、無駄な道草をして楽しめば良い。
これまで、社会が人間に「集中しなさい」と要求したのは、結局は、機械のように働きなさいという意味だったのだから、そろそろその要求自体が意味を失っている時代に差し掛かっているということである。
機械は、プログラミングされたその命令しか実行できない
だから集中できる
生物は無意識に思考を分散できる、できてしまう
「集中しろ!」という指摘は、機械のように忠実に命令を実行してほしい環境で発生しやすい指摘
人間の行動はミスありき
ミスが許されない実行は、それこそ機械に任せたほうが安全になる
AIに代替されない仕事は、分散力や曖昧さが求められる仕事
いや、AIによる画像生成では抽象的・曖昧な命令から何かしらアウトプットを出せる能力があるな。。。
AIは間違ってもよい仕事を奪うの方が今の所しっくりくる
AI vs. 教科書が読めない子どもたちでも、AIが不利な分野は「読解力」など曖昧な答えが出る分野
しかし、ChatGPTを使っていると、人間の質問をかなり読解できてきている印象だった
今後の社会では機械が増える一方なのだから、同時に集中力の必要性も下がっていくのかもしれない
時代のアプデにより、いろいろやろうぜの作戦が強化されていってる感覚
専門領域の勉強は10%程度にとどめて、残りの90%で法律や哲学、政治、化学、生物、物理、数学などの学問の本を読むこと
AIに仕事を奪われて嬉しい社会にしていくべきではないか?
しかし、書籍:ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていることでは、集中が必要な作業を機械に任せすぎると、人間がもつ集中力が弱まってしまうという警鐘を鳴らしている
苦労の接種効果が減る