私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を、「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ
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浄化の刃、シャナ
from 差別はたいてい悪意のない人がする: 見えない排除に気づくための10章 p202
私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を、「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ
「差別されないための努力」は受身的で自分だけを向いている。
差別されないマジョリティに属しようと努力するのは、差別の存在を認めてしまっている
差別されないポジションに立つことは、差別をする側に立つことでもある
たくさんの本を読んで、他者を見下す視点を固定化する人
誰でも気づかずに、悪意のなく、差別をしてしまう可能性がある
言葉の解釈は受け手次第だから
相手が差別に受け取りかねないか想像力をつける努力をしなければ、差別をする可能性は高くなる
悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる
人間の想像力には限りがあり、自分の価値のものさしに収められるのは社会全体のニーズのごく一部にすぎないという明快な事実が、個人主義の出発点である