インド・パキスタンの分離独立
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イギリス領インドにおけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分布(ピンクがヒンドゥー、緑がイスラム、黄が仏教) 第二次世界大戦の結果、イギリスは勝利したものの疲弊して超大国の地位から転落することが確実となり、脱植民地化の流れが強まるなかで最大の植民地であったイギリス領インド帝国の解体は不可避になっていた。 しかし、当のインドでは多数派(マジョリティ)のヒンドゥー教徒と社会的少数者(マイノリティ)であるイスラム教徒の対立は激しさを増し、特にムハンマド・アリー・ジンナーを指導者とする全インド・ムスリム連盟は1940年のラホール決議(Lahore Resolution)で「二民族論」(Two-Nation Theory)を唱え、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分離を強硬に主張していた。 マハトマ・ガンジーはこの分離に反対していたが実らず、その反対運動がヒンドゥー教過激派の目に止まり、暗殺された。