ザ・秘境生活が面白い
YouTubeのディスカバリーチャンネルで期間限定で公開されている「ザ・秘境生活」(原題:MAROONED WITH ED STAFFORD)という番組がとてもおもしろい https://www.youtube.com/watch?v=araCtDiIs9M&list=PLgMKK0HeoFAUiKu48ssOoJtLKBkh4-x1v
いつまで公開されているのかわからないので早く見ておいて方が良さげkeroxp.icon2018/10/27
内容は、エド・スタッフォードというイギリス人冒険家が人跡未踏のジャングルや高地、砂漠で10日間何も持たずにサバイバルするというもの
毎回、自撮り用カメラだけ持って無人の秘境に置き去りにされるところから始まる
エドが水、火、家、食料という人間が生きるために必須の4要素を現地調達するところが面白い
で、内容の多くは見ればわかるのでこれを見て感じたことをまとめておく
主義思想の下支え不在問題
エドが毎回訪れる場所は一応はどこかの国の管理下にある土地ではあるが、一言で言うならば「不毛」な場所で、人間が住んでおらず、過去に住んでいたことすら稀な場所である
もちろんそういう場所をわざわざ探してきて行っていることは事実なのだが、地球上七割が海で残りの三割の大半がこういう場所なのだと思うと人類、よく生き残ってきたなと感慨に浸る
一応、極地ではないので水、火、家、食料は自然から調達できるため生存は可能なのだが、何しろ文明どころか何の道具もないので過酷さが極まる
特に毎回エドが困るのが食料の調達である
水は雨水や川、水源などから比較的かんたんに調達でき、火も乾いた木材から起こしている
家も木材と草でなんとかあてがっているが、食料の調達に毎回苦戦している
彼は秘境での長期生活の可能性を調査しているという体なので、持続的な食料調達法を探すのだが、あまり成功していない(と自分には思えた)
エドが食料の調達をするパターンはいくつかに分かれる
植物、菌類
果実
草
キノコ
小型の動物
げっ歯類
ゴビ砂漠編でのネズミなど
小型哺乳類
アリゾナ砂漠編でのスカンク
爬虫類
オタマジャクシ
亀
鳥
罠での捕獲
タイ編で野生の鶏(セキショクヤケイ)を捕獲していたときその痩せ具合に衝撃を受けた 魚
主に罠での捕獲
昆虫
見つけると速攻で捕獲して食べてる印象
植物系の食料は割とすぐ見つけているのだが、動物性蛋白質を取るために動物を狩る必要が出てきて、それが難しい
虫も結構簡単に見つけている
動物を狩るためには、まず間違いなく道具が必要で、高性能な狩り道具+安定した狩場という条件がないと持続的に動物を狩ることが困難になる
エドも、殆どが草木を使っての道具作りが殆どで、10日間という短期間では石材や金属加工などの工業技術は取り組めていない
そういった工業技術は一度確立してしまえば巨人の肩の上という感じで失われることは少ないのだが、
現代に至るまで科学技術が進歩しすぎでは?
現代の社会、特に日本のような国では生活の前提となるインフラが充実しすぎていてすごい
エドが挑戦する環境(=原始時代以前)と比べれば、どう考えても厚生状態が良いはずなのだが、どうも幸福度でいうと現代のほうが低そうな気がしてくる
というのも、最低限の生活水準には限界があるが、それ以外の物事が無限に複雑化、増加してきているため、現代では幸福という概念自体がとてもインフレしていて高価なものになっているからだ
※ここで高価というのは、値段ではなく希少性のこと
エドの置かれた状況においては、水、火、食料、家を手に入れることが最優先課題(=生存条件)なわけで、それらが労働の対価としてのお金を払うことで簡単に手に入る現代は、信じがたく便利な時代ではある
絵や文章を書いたり、ラッシャッセーしてるだけできれいな水や食料や家が手に入るのはジャングルにおいては不合理ではある
どうも人間の幸福というものは「望んだものや状態が手に入る」状態のことを指すことと定義できるようで、現代においてはお金を手に入れることがそれの近道とされている
しかし、お金があっても欲しいものが無かったり手に入らなかったら幸福にはなれないので絶対的ではない
タイ編で鋭利な石探しに行き詰まったエドが、突然「森のエネルギーを感じて探す」と言い出したとき大丈夫かと思ったのだが、ハッとなった
というのも、エドが置かれている状況においては確立された知的体系が何もなく、信じられる思想や主義がなにもないからだ
国家もなく、法律もない場においては、何もかもが言ったもの勝ちであり、自分を含めた人間を納得させる独自の論理が必要になってくる
さもないと、原因や原理が分からない出来事が、不安で生きていられないと思う
現代の宗教でない思想や主義は、科学技術・法律・国家という三大下支えの上にようやく成立しており、その実このどれかが崩れかかっただけでも正当性が怪しくなってくる
個人主義など、その典型例だと思う
科学技術によって個人でも生活水準を保つことが容易で、法律と国家によって権利が保証されていることが大前提なので
自分は個人主義者だからこそそう思う
だからこそ、アニミズムに始まる伝承や、神話、宗教などの科学に依らない論理体系が、近代まで(現代でも)人間に大きな影響をもたらしていた理由がはっきり理解できた
「誰にも分からないことを説明してくれるシステム」というものを人間は必要とするようだ
それが知的かつ生命であることの条件なのだろうか?
理解できないと不安で耐えられないというのは、知識欲求の下支えなのだろうか?
そんな感じでゆるキャン二期決定を喜んでいます