お絵描きについて語ることの意味
そもそも僕が絵を描き始めたとき、何も描ける気がしなかったので、せめて何かこう指針らしきものはないのかとネットや書籍を探し回ったのですが、全然見つからなかった記憶があります
ネットでイラストを公開してる人はまぁ無限にいるわけですが、上手い人ほど無言になる傾向があって、そういう人たちの絵に対する理論というか、attitudeのようなものを真剣に読める場所が無かったわけです
右も左も分からない初心者だった自分は結構それを残念に思っていて、色々探し回りました
それで、ある時ある人(以下、Aさん)を見つけました
Aさんはプロのイラストレータというわけではなく、働きながらネットにイラストや漫画を上げたりたまに同人イベントに出たりしている人だったのですが、その人が特徴的だったのはブログでイラストを上げたついでにそのイラストでどういう点を意識したのか、ここの表現をどうやって試行錯誤したか、どういうところが難しいのか、逆に簡単なのかのような細かいことをつぶさに文章に起こしていたところでした
Aさんはジャンルで言えばナンセンスエロギャグのようなシュールなイラストを描く人だったのですが、画力と画風はユニークな才能を持っていて、エロでもギャグでもない普通の絵を描かせても上手い人でした
なんというかAさんは『自分は絵を描く以外の才能はないしそれ以外のことを頑張るつもりはない』みたいなことを臆すること無く言う人だったのですが、その人の語るイラストについての言葉は真実味を帯びていて、技法書や初心者講座に載っている口触りの良い当たり前のこととは違うとすぐに分かりました
僕が知る限りAさんほど自分のイラストについて理論的に語っている人はいなかったし、あれほど上手い人ですらわからないことや出来ないこと(それも自分には分からなかったわけですが)があるということが心の支えになった気がします
それで思うことは、ある程度熟達したクリエイターは、自分が作ったものに関してその技法的な考察を語ったほうがいいということです
ここで一点注意したいのが、技法について語るということは技法を体系化するということとは違う作業であるということです
人間はパターンを見つけることに至上の喜びを感じる生き物なので、自分が実践してきた技法を体系化し、他人にも実践させようとするきらいがあります
世の中に無限に個人経営の塾やら少年野球チームが存在するのもそういう理由だと思います
でも僕は思うんですがそういう帰納的な作業は、その作業自体の才能がないと、大事なことをどんどん取りこぼして中身のない空虚な理論になってしまう気がするんですよね
自分がこれは大事、これは大事でもないという取捨選択をする過程で本当に他人にとって必要だった理論が消えていく可能性もあると思う
なので、行為の体系化ではなく行為に対する思考をなんでもログしておくというのが重要な気がしています
その中で自分でも自分が何を考えてるのかだんだん分かってきたりするし、生のログを残しておくことでそれを読んだ他人の何かのヒントになるかも知れないので
ちなみに、Aさんは2018年現在そのブログの更新を辞めてしまい、Pixivも退会してしまい、本当に消えてしまいました
彼に何があったのかは分からないし、それが彼の選択なら仕方ないと思うのですが、絵を描き始めたころのピヨピヨちゃんの自分には、Aさんの愚直な語りにとても勇気づけられたということを思い出して、その感謝をどこかに残しておこうとこの文章を書いてます