視覚に訴えかけるものに対する過剰なルサンチマン
プログラムを書いてソフトウェアを作っていると、地味だなと思うことがある
ソフトウェア開発は膨大な量の知識と技術、そして美的感覚が詰まったクリエイティブな作業なのだが、できるものがたいていボタンだったりリストビューなので、一般人が使うとき便利さは感じても特に感動とかは無いと思う
ソフトウェアの凄さは当たり前のハードルが高すぎていまいち伝わりにくいよなと
一方で漫画とか映画とかは視覚的なクリエイティビティなので一般人でもパット見て良し悪しがわかる。感動もするだろう
なのでそういう視覚に訴えかけるものに対して対抗意識みたいなものがある
ソフトウェアの美しさというのは工業製品的な機能美に近いのかもしれない
機能美と視覚美がどう違うのかはよくわからないが、前者は目に見えない分、分泌される脳汁の種類が違うような気がする
人間が便利さを感じたときに感じる快感は良質な映画を見たときの快感とは違う
だが結果的には工業的なアプローチも美術的なアプローチも快感を生み出すものであるということには変わりないので、そんなに謎の対抗意識を燃やしても意味ないのかなとも思う。大体今や芸術作品だってソフトウェアで作られてるんだし。
パット見で良さが伝わりにくい文化って現代では厳しいよね。小説とかも。