英語を完全に理解した時の話
2022/2/22
以前にも似たような話を書いたのだが、無駄に長くなった記憶があるので今回は簡潔に書く(嘘)。
当たり前だが表題はジョークである。そんな瞬間は未だ体験していない。
しかし学生時代のある時点から自分の英語理解(Reading/Writing)が飛躍的に高まったと感じた瞬間がある。
これを読んでいる人に同じような体験をしたことがあるかどうかは分からないが、一つの体験談として聞いてほしい。
さて、東京に出て予備校に入るまでの僕の英語教育の経験といえば、公立中学の三年間と公立高校での半年が全てであった。時間にすれば大体3年半くらい。思い返すと話にならないレベルの理解力だったが、同年代の中での成績としてはまずまず良いものであった。
その後僕は紆余曲折を経てなぜか学校教育システムの外側から大学受験に臨まなくては無くなった。そして、自分の入る予定の大学の英語試験のレベルが(当時の僕としては)べらぼうに高いという事実に打ちのめされてもいた。
そう、中学や高校で読んでいた英文など、文部科学省が懇切丁寧に選んだ平易な語のみによって作られた、かりそめの文章であったのである。本物の英文というのは知らない語が石つぶてのように飛んできて、どこで分割できるのか想像もつかない長いパラグラフが林立している。教科書に載っているぬるま湯のなかで天下人になっていた僕に取ってはまさに青天の霹靂であった。
当然だが、実際にその言語を使いこなしている大人が、同じ言語を使っている大人に向けて書かれた文章というのは、そういうものとは難しさが全く違う。無駄に難しい語彙を使ったり文語的な言い回しを使ったりすることはないが、とにかく実践的に修飾や省略が織り込まれたタフな文章なのである。
そう言った文章を「さあ読め」と掲げられた当時の僕はいわゆる初学者病の「何が分からないのか分からない」状態に陥った。中高に加え予備校の英語の授業で基本的な文法や語は勉強したはずなのだが、まるで役に立たない(と思ってしまった)。
語についていえば、まずもって知識の絶対量が足りなかった。あれもこれも知らない語ばかり。もはや連想クイズである。
文法についても、実際の英文の中に「This is a pen.」のような標本的文章などほとんどない。とりあえず文頭からピリオドの位置までは分かるから、それでひとまとまりなのだと分かるが、それがどういう構造になっているのかはさっぱり分からない。特に、省略の多さにはかなり頭を混乱させられた。その形容らしき語がどの語に掛かってるのかを逐一考えなくてはいけなかったからだ。
まあ今思えば単に勉強が足りないというだけの話なのだけど、それでも英文の理解のスピードが明らかに高まった時があったのである。
それが、予備校の授業で英語の先生が言った(?のか自分で気がついたのかは謎)、『英語には数えるほどしか文型がない』という言葉だった。
言語学的な正当性はひとまず置いておくとして、文型とはあれである。SVとかSVOとかいうやつである。中学校では5文型と習う。もちろんこの5という数字は大いに疑わしい。しかし、20や30ないことは確かである。
僕はもちろん文型について中学校で習っていたが、一度や二度くらいしか授業で登場した記憶がなく、教師の方もそれを熱心に教えたという記憶もないので、あくまで目的地に向かう途中に通り過ぎた名所くらいの印象だった。しかし、これはその後の人生で僕が英文を理解する上で最も重要な考え方になった。
英語とは源流が異なる日本語において、この「文型」という考え方は非常に馴染みがない。英語はSV、日本語はXX〜というよく分からない分類も見かけるが、あまりピンとこない。言語学のプロでもないので藪蛇は突かないことにする。
一方で、英文というのは本当に少ないパターンの文型に分けて読み進めることができる。当時の僕にとってそれは革命的な発見だった。
最も有名な英語の文系はSVO(Subject(主語) + Verb(動詞) + Object(目的語))である。
Oの部分がCとかOCとかMとかに置き換わることもあるが、殆どの平文はSVが省略されることはなく、必ずこの二つがパラグラフの初めの方に存在するという原則がある。(もちろん原則に過ぎないのだが、殆どの文章はその構造になっている)
そこで、僕は比較的複雑で長いパラグラフに遭遇したら、まずSは何なのか、Vは何なのかというのを特定し、その間に「/」を引いて文を分割した。こうすることで、Vの前にいろいろな語が並んでいたとしても、それは確率的に全てSにかかった修飾語なのである。
そして、英語においてVが長くなることはない、ということにも気がついた。英文の中でVはほぼ確実に一語の動詞か、前置詞を伴った述語的な表現にしかならない。少なくともまあ、受験英語レベルの文章においては。
となると、Vの部分を特定できたらその後ろにも「/」を引くことができる。残りはOとかMとかCとかの何かである。実際、ここまでくるとVの後の部分がどういう構造になっているかはどうでも良い。語の意味だけで文の意味がわかる。
そういう原則を身につけると、長いパラグラフというのは殆どがSの修飾かOの修飾であることに気がついた。凝った表現でもなければSが過剰な修飾をされることもないので、殆どSV以降のOが何らかの形で修飾されている。形容詞とか分詞系とか、that/whichとか。あとは文全体やVを修飾する副詞なので、最悪読み飛ばすこともできる。
こういう我流の読解術?を身につけてからは、知らない単語がたくさん登場する英文でも、ひとまずはパラグラフのパーツを分割することが出来るようになった。辞書的には動詞よりも名詞の方が圧倒的に多いので、基本的な動詞を覚えてしまうと、目的語を知らなくても文章の意味が予想できるようになってくる。実際、大学の試験では当然のように知らない語に遭遇したが、何とかなった。
まあ長いパラグラフというのは文章の作成に熟達した大人が書きがちというだけであって、必ずしも意味が伝わりやすいとか読みやすいというわけでもないから、そんなに複雑な文章を書かないでくれよとも思わなくもない。実際、チャットではそんな長い文章など登場しない。それはどこの国でも同じである。
日本の英語教育の実用性に疑問が呈されて久しく、何のかんので共通一次でのスピーキングテストも無くなってしまったわけだけど、日本の公教育は外国に行って活躍する人ではなく日本の企業や大学で研究者になるような人材を育てようという意識が強いので、文法やR/Wに偏重がいくのも致し方ないのかもしれないですね。
外国人とバーベキューをしながら子供自慢をしあえる能力があっても、外語の論文の読み書きができないことには国の学術レベルが上がらないからね。まあ学生たちには自国の教育システムに文句を言うよりも、早い段階でそう言う欺瞞に気づいて欲しいものです。