続・人は自分が簡単に出来ないことにほど非寛容的になる
なんか読み返したら言いたいこと全然言えてなかった気がするので書き直すkeroxp.icon2018/7/26
hr.icon
プログラミングに限らず、こういうことは社会のあらゆる場所で存在するよなと
自分は親や恩師から言われた言葉に影響を受けた、とかいう話を聞くたびに眉に唾をつけてしまうのだが
例えばマネージャという役職が存在する
マネージャは自分では作業をせず作業者に支持を出して統率を取る役割なだが、支持を出すだけで人が従って作業を進めることは原理的にはありえない
なぜかと言えば、その命題は「作業者はマネージャの支持に必ず従う」という前提がなければ成立し得ないからだ
もちろん、大抵の指示系統においては何らかのその契約の変型があるわけだが、それが成立し得るのは法律だけであって、それ以外では人は人の言うことを聞く必要が原理的に存在しない
なぜかといえば、法律自体が「これを守らないとそれ以上の危害が起こりうる」という逆説的に存在しているからである
で、常々自分がおかしいと思っていることは、この原理が適用されない場所が存在しまくるということである
例えば義務教育、例えば家庭、例えば部活
ほとんど子供が所属するコミュニティですね
自分は少しだけ早くからそのコミュニティから抜けて16歳のときからやんごとなき事情で一人で自由に暮らししてきたのだけど、10年経った今でもその経験が得難いもので、今の人格に影響を与えていると思う
自分の生活について誰からの指示も受けない、束縛されないということは非常に、本当に重要だと思う
なぜかというと、そのコミュニティの構造的に支持(だけ)する側が存在すると、支持される(だけの)側がウンザリしたときに取れる行動が「そのコミュニティを抜ける」以外に存在しないからだ
例えば、理系の大学の研究室はアカハラが起こりやすいが、こういうのは教授と学生に目的の不一致が存在し、権力的な非対称性が存在するからだ
家庭や義務教育の場でも、子供は親や教師の指示に原理的に従わないという選択が無い
もちろん、親や教師の言うことの多くは社会生活に適応するために必要なことだろう
しかし、全てではない
全てでない一部の同意できない事柄について、立場の弱い子供ができることは何があるだろうか?
徹底抗戦するにも、限度がある
親との関係が悪化すれば、自分の人生への経済的支援も望み薄になるし、最悪ネグレクトや虐待に発展する可能性もある
義務教育(+高校)を終えないことには、能力的にその後の社会生活で著しく不利になる可能性が高い