知識やノウハウを共有することのメリットについて
プログラマは自身の知識やノウハウを無償で共有することを使命と捉える
知識やノウハウをインハウスで止め、秘匿することは邪悪だとされている
これはなぜだろうか?
こういう文化は、実はプログラマに限定されているわけではない
これはアカデミアの文化であり、新しい知識の発見と、その発表は研究者の欲求である
プログラマに限らず研究者肌の人は自分の興味のあることを丹念に調べ、まとめ、実験して、わかったことを発表する
その上で学術機関に所属しているわけでもないプログラマが特に積極的にこういった活動を行うのはなぜだろうか?
まず、知識や技術、ノウハウはそれをその人が独占している限り高い価値を持ち続ける
技術職というのは本質的にそういったものを売ることで成立している
もちろん需要がある限りに於いて
誰にでもできること、誰でも知っていることは一般的に商業的な価値を持たない
なら知識や技術を無償で共有することには技術者としては損なのではないか?
有償ならば完全な損はしない
それらしい理由は色々あるが、確たる論理が見つからないのでまた調べる
本質的に技術や知識やノウハウを他人と共有することはコストが高い
このコストは、内容によって増えることはあっても減ることはない
一口で教えられるTIPSならそこまででもないが
keroxp.iconのようなプログラマは↑のような不親切で断片的な情報をなんとか食いつなぎながら生き延びてきたので、まったく無駄ということはない
コストが減ることがないのなら、個人や企業がそれを力を入れてやることのメリットはないのでは?
論理的には、『メリットがないのなら、情報を共有することはない』のでは?
対偶: 『情報共有しているのなら、メリットがある』
もちろん、一般的意見として情報や知識を共有することのメリットはたくさんある(と言われている)
1. 人類が進歩する
2. 人が喜ぶ
3. 人の苦しみが減る
4. 褒められる
5. すごいと思われることで人が集まる
6. 連鎖的に知識体系が成長していく
このなかで、個人はどれかを目的にやっていると思う
しかし営利企業がソフトやノウハウをオープンにする目的としては相容れない
5が戦略的にありえるライン
OSSや素材は公開して終わりではなく、人気が出てくれば来るほどそのコミュニケーションのマネジメントに労力を奪われる
MMDの素材提供者なども、ひどい利用者やコミュニティクラッシャーのせいで心を病んでしまって消えてしまう人もいる
OSSだとそこまでもないか?
みんな大人だし、実名文化だから礼儀正しいし
というか大抵のコミュニティはそうなのか?
2chニコ動twitterだけがおかしいのか?
企業がわざわざそれをやるメリットはない
企業が製品でないジェネリックなものを作るメリットはない
自社製品で使っているものの堅牢性を上げるとかの理由
それにしても別に公開する必要はない。面倒が増えるので。
ではなぜFacebookやGoogleは競うように新しい技術をOSSとして公開するのだろうか?
最近はMicrosoftもすごい
これらはGNUやApacheのようなフリーソフト開発者コミュニティではなく、営利企業の社員が仕事としてフルタイムで開発しているものである