盤上の物語の価値は不変
藤井聡太5冠(現在)が2020年に当時最年少でタイトル(棋聖)を獲得したインタビューで残した名言
これはAI時代に人が将棋を指すことの意味を問われての答えだったわけだが
3年経って本格的にAIが凄いことになってる今、この言葉の意味が深まっている気がしたkeroxp.icon2023/03/06
AIができることはこれから増え続けて、精度も速度も早くなって、減ることは無い
その中で人間がこれまでやってきたことの意味が再び問われてようになっていると思う
機械文明が人間のアナログ作業を代替してきたのは歴史のとおりだけど、今回の革新はまた大きな衝撃なのだと思う
機械が人間を支えてきた物理的制約の次は知性の部分も支えるようになり、部分的には置き換えることになった今、クリエーターが専門職として積み上げてきた技術とどう向き合うか? というのは非常に重要なテーゼだと思う
自分ができることがAIにもできるとなったとき、専門職の人間はどう自分のアイデンティティを支えるべきか?
その答えがここにあるのと僕は思ってる
機械やAIにできる/できないの二元論はもはや意味はない
なぜならAI単体では無理でも、人の手を貸せばやりようはあるから
今まで少ない人単体の力でしかできなかったことは、その間口が広がっていく
ならばそんな状況でなぜ知的な活動をやめずにゲームに向き合うか?
なぜならそこには楽しさや嬉しさ、感動があるはずだからである
将棋なんかはAIの指し示す手を指し続ければ誰だって名人にだって勝てる状態にはなっているけど、あえてそれをやらないからこそ飽きずに遊び続けられるのではないか?
むしろ、AIの創造性からフィードバックを受けて人間の創造性をより洗練させることもできる
紀元前からどんな人間より馬のほうが脚が速いわけで、その中でも陸上競技というものが成立しているのと同じ
人間と同じかそれ以上の機能を発揮できる存在は宇宙に無数に存在するはずで、だけど人間同士でやり取りし合うからこそ様々な意味が生まれる。それが人間的な活動の意義のはず。
一方で……
感動や楽しさとは無縁の、実務的な能力みたいなものは置き換えられた上でもう元には戻らないような気もする
ただ、実務的な作業が生み出すのは突き詰めれば経済性だけなので、別のファクターで経済性が保証された世界においては、AIの能力もさほどありがたがられないのかもしれない。
ただインターノットと検索エンジンの発明が人間の知識のあり方を変えたように、これからの人間はもっといろんな知識を簡単に得ることができるようになることは間違いないと思う
知識は得ただけでは意味ないので、その豊富な知識を元に、楽しさを携えて次世代の創造性を見出すことが現代のクリエイターの素質なのかなと思います
楽しいは正義