星を見ていた話
中学生の一時期不登校だった僕は完全に昼夜逆転の生活をしていて、夜中家人が寝静まったあと自分の部屋でパソコンを見て暇をつぶしていた。
ある夜暇つぶしのネットサーフィンにも飽きた僕は、ふと窓から夜空を眺めようとした。しかし窓の向こうには隣の建物があり、夜空は十分に見えなかった。
その時僕はふとこう思った。屋根に上がれば星が見えるのではないか?と。
僕の実家は二階建てで、僕の部屋は二階にあった。部屋の窓の一つは一階部分の屋根のちょうど上にあり、そこに降りれば二階部分の屋根へも上がれそうに見えた。
だがもちろん僕は家の屋根に登ったことなどなかったし、登ることができるなどと考えたこともなかった。
当たり前だが普通の家に屋根に上る機能などついていない。巨大なはしごでもあれば話は別だが、そんなものはなかった。
それに何より、窓から外に出て屋根に上るという行為はとてもまともな考えとは思えなかった。
十数年暮らしてきた自分の部屋とはいえ、窓から外に出て屋根に上ることなどできるわけがない。
そう考えながら据え付けられた窓をずっと眺めてきたわけだが、なぜかその時だけはそう思わなかった。
僕は窓を押し開けて欄干に足を起き、体を滑り込ませて一階部分の屋根に足をおいた。季節は晩秋で、冷え切ったコンクリートが裸足の足に張り付いた。心臓が跳ね出した。
街が寝静まった夜中に、部屋の窓から抜け出して屋根に登ろうとしている行為はとても悪い事のように思えた。
家人が起きだしたら? 道行く人に見つかったら? それが警察だったら?
僕が学校に行くことを放棄した事もあって家人たちとの関係は目も当てられないものになっていた。子供であるがゆえに自分ひとりで暮らしていくこともできず、学校から逃げ、親から逃げ、それでもなお親の庇護の下にある自分が情けなかった。
窓は、そういう情けなさからさらに逃げ出そうとする僕にとってある種の境界であった。
その境界を超えた瞬間、僕は半ば後悔した。この行為に一体どんな意味があるというのか? 自分は何をしているのか?
当たり前だが意味などなかった。ただなんとなく「窓から屋根に上る」という、やったことのないことをやろうと思っただけだった。
そこに高揚感や爽快感はなく、ただ何かの境界を超えてしまったという取り返しのつかない実感だけがあった。
一階部分の屋根をつたい、段差になっている二階部分への屋根に手をかけて体をよじ上げた。
雨樋に足をかければ、1メートル程度の高さは身軽な僕にとっては簡単に登れてしまった。
二階の屋根には瓦が敷き詰められており、傾斜はあったがそれほど厳しくはなかった。僕は瓦の上に腰を下ろして真上に広がる星を見た。オリオン座がとても綺麗に見えた。
しばらくして僕は屋根を降り、自分の部屋に戻った。その間僕の心臓はずっと高鳴っていた。
音を立てないように窓を占めると、汗が吹き出してきた。家人は気がついていないようだった。
時間にすれば十数分程度のことではあったが、当時の僕にとっては永遠のような時間だった。
深夜の屋根の上という空間は、僕の小さな世界と地続きにあった。だがそこには僕の経験したことのない異質さがあり、何かへの恐怖が確かにあった。
窓という境界を超えた瞬間、それまで不貞腐れながらも留まることしかできなかった自分の部屋が、とても暖かく懐かしい場所に感じたことを覚えている。
誰もいない夜の屋根の上は、何のしがらみも束縛もなかったが、居心地の良さは微塵もなかった。そこにはただ夜の闇と静寂、冷たい空気、そして広い星空だけがあった。
星を見たかったという気持ちは、窓の欄干に足をかけた瞬間に消えていた。足を踏み出してからは、もうとにかく屋根に上ることしか選ぶことができなかった。
それはある種の旅のようでもあった。ほんの短い時間ではあったが、僕は「こちら側」の世界から「あちら側」の世界に行き、帰ってきた。そう強く感じた。
その体験は、その後僕の価値観に何らかの影響を与えたような気がしてならない。
人は何かに縛られて生きているが、案外そのしがらみは、欄干を踏み越えるだけで逃れられてしまうものなのかもしれない。
タイミングによってはその欄干を超えることを止める人もいない。全ては自分次第だ。
だが一度欄干を超えてしまえば、その先には自分を守る部屋は無い。ただどこまでもニュートラルな世界があるだけだ。
そのどちらに身を置くかを選ぶのは自分だが、その境界は思いの外簡単に超えられてしまうと知ったあの日から、僕の価値観は決定的に変わったような気がしている。