企業精神とOSSは相容れない
現代のソフトウェア開発は誰かの作ったOSSにタダ乗りしてそれをドヤることが大変な美徳である
ソフトウェア開発を支える基幹技術はほぼ全てがOSSであり、フリーライセンスで使われている
なので、プログラマの技術力はOSSのタダ乗り力だと言っても過言ではない。
けどプログラマの仕事はプログラムを書いてお金をもらうことである
しかし自分がお金を稼ぐために誰かをタダ働きさせることを推奨するのはどうなんだろうねと僕は思う。
まぁ確かにそういう風潮になるのも分かる。現代にはあまりにも高クオリティなフリーOSSが有りすぎている
その多くは企業ではなく個人が良かれと思って作り始めた善意によってのみ成り立っているプロジェクトだが、彼らが真に報われることは稀である
はっきり言って、フリーライセンスで公開されているソフトウェアにわざわざお金を払おうとする人は殆どいない。企業でさえもそうだ。
しかしそれを批判することはできないと個人的には思う。なぜなら、そもそも好きでやってるのだから飽きたらすぐ止めるぜ、という気軽さが自由であることそのものであるからだ。
最近はそういった人気のOSSを支援しようとする動き(JS FoundationやOpenCollectiveなど)もあるが、どうせ形だけで上手く行かないだろうと冷めた目で見ている
著名なOSSを開発できるレベルのソフトウェアエンジニアをフルタイムで働かせるには、少なくとも毎月4,50万くらいのお金を用意しないといけない。一人1万出したとしても4,50人必要になる計算だ。二人になったら100人。それがいくつものOSSになったとしたら、そんなに集まるわけがない。YouTuberの方がまだお金を稼げるかもしれない。
試しに会社で開発しているNode.jsウェブアプリのpackage.jsonを見てみたら(dev)Dependenciesに117個のパッケージがあった。これが1つ毎月40万だったら毎月4680万も必要になってしまう。そんなお金を払える会社がどれだけあるのか。
さらに依存が依存しているライブラリを考えたらとてもではないが計算できない。
OSSには根本に3つ自由の精神がある。それは作る自由、使う自由、そしてやめる自由だ。
しかしOSSという文化が広まり、個人であれ企業であれ使うのが自由になってしまった結果、OSSは無料の手厚い製品であることが求められるようになっていった
Githubでの質問、公式サイトの充実、機能リクエストの要望など…
有名なOSSの現場は本当に大変なのだと思うし、なぜそんなことを熱心に続けられるのかというのは僕はあまり理解ができない
僕は孤高の芸術家タイプの人間なので多くの人よりも自分自身の満足を優先したいので、仮に人気が出てしまったとしてもそれに報いる無料の製品を作る気持ちは湧かないだろう
なのでもちろんスペアタイムでOSSを開発している人は本当に尊敬するし、NodeやDenoを作ったRyan Dahlを始めとする人たちの熱意はとてもではないが真似できないなと思う
それは単純な技術力などとは比較できないとてつもない才能なのである
OSSにはやめる自由がある。それは誰にも侵されない真の自由である。
好きなときに作って好きなときにやめることができる。それはクリエーターに許された喜びに違いない。
現代は趣味でお金を稼ぐ、あるいは趣味を持続的にするためにお金を得る、といったことが一般的になりつつある
しかし僕はそういうのはなんだかなぁと思う
お金を得ることに抵抗があるのは、多分自分がお金を払うことになれていないからなのだと思う
払わなくていいことに好んでお金を払うという感覚がいまいちよくわからないし、お金が必要ならどうしてちゃんとした形で売らないのだろうとも思ってしまう
むしろ、製品になっていればもっと喜んで買うのになと感じるものも結構ある
多分自分にはファン意識というものがないのだろうと思う。好きなアーティストやアイドルを「応援」したくてお金を払うという感覚はよくわからない。
どんな仕事でも成果物が良ければ当たり前にお金を払うけど…という感覚しか無い。
ある意味では市場原理の申し子なのかもしれない。でもとても多くの人がそう思ってるから今の世の中があるんじゃないかな。
僕はこの社会でお金は絶対的な価値であるからこそ、善意とは切り離されて考えられるべきだと思っている。
お金はこの社会の何とでも交換可能であるからこそ、それを得るためにはそれに見合ったものを提供しなくてはいけない
そしてそれはおそらくOSSを支える自由の精神とは大きく矛盾するものなのだと思う
ココ・シャネルは「お金で買える最も素晴らしいものは自由であり、その次はとてつもなく高価なものだ」と言ったらしい
僕もそう思う。自由を得るためにはまずお金が必要である。なのでOSSのような善意の活動は、はっきり言ってお金と時間に余裕のあるプログラマーがテキトーにやればいいと思う
どうも世の中のプログラマはOSSを仕事で使えるかどうかということに大きく着目して評価しがちだが、OSSはソフトウェアとして価値があるということよりもまず、「優れた知識が無料でオープンにされている」という事実が重要なのである
実用的に使えるかどうかなどというのは、下賤な考えである
なぜかといえばそういう技術を公開できる人は仕事の中でも同じようなことをやっていて、その経験を生かして知識を広めようとしているからで、別にやらなくたって何も損はしなかっただろう
しかしそういった善意の活動はやがて零細企業の金づるになり、この世界の屋台骨となってしまった。明日Reactがなくなったら僕の作っている製品は1年くらいかけて作り直しになるかもしれない。別にそれでもいいけど。
知識や技術をオープンにすることは、個人の利益よりも他人の利益を考えた、反資本主義的な行動である
人類がここまで進歩したのもそうやって知識を連綿とつないで洗練してきたからである
それは資本主義の合理性である企業という概念とは相容れない考えなのである
ソフトウェア企業というのは不思議な存在で、そういう非合理な考えを基本に持ちながら合理的にお金を生み出すという謎のことを日々やっている
製品をよくするために知恵を絞って技術を磨くのはお金を生み出すために当たり前のことだが、そういった行動に反して、同じ触媒でお金なんてどうでもいいから世の中をより良くしたいという衝動を実現するにはどうすべきかということを最近は考えている
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