プロ意識という幻想
「プロ意識」という言葉を聞くことがあるkeroxp.icon2020/3/11
スポーツ選手だったり音楽家だったり学者だったり建築家だったりと、専門性の高い"プロフェッショナル"な職業の人間がプロであるために持っている高い意識の事のようだ
仕事を完遂するためにプライベートを捨てて努力を重ねたりハードワークに耐えたりするプロフェッショナルな人の姿を見るとパンピーの我々はそれに舌を巻いて感動するわけですが
ただこういうものって大抵の場合メディアによって作られた幻想だと思うんですよね
プロの定義が何であれ、その分野で高い成功を収めるにはそれなりのコミットメントが求められるわけですが、その人の仕事がお客さんに届いたときにはそのコミットメントの極表層の部分しか見えないわけですよね
どんだけシュート練習しても試合で点を決められなければサッカー選手としては無能なわけで
しかしその中で試合で点を決めているトッププロの選手の凄さは見ている人にはよくわからないものです
そういうアタリマエに提供されているサービスを生み出す人たちの価値は実際あまり伝わらないので、それに関係するメディアはそういうサービスの価値を上げるためにその職業の人達の凄さを別の角度からプロデュースしようとする
ニュースとか、ドキュメンタリーとか
そういうメディアに映し出された「プロ意識」と呼ばれるものは大抵の場合、その人にとっては普通の慣習なのではないか?
もしくは、業界的にも変で本当にその人しかやってなかったりとか
何れにせよ現代の職業はどれもこれも細分化されて専門化してしまっているので、お互いの目には何であれ相当奇妙な光景に映ると思う
一日中建設現場で家を立てている人から見たら全員がPCに向かって無言でキーボードを叩いているようなクリエーターを見たらおかしいと思うだろう