やろうやろうは馬鹿野郎
物事の始まりにはなにかきっかけがあるものだが、「やろうやろう」からろくなものが始まった試しが無い
自分から誰かに「XXやろう」と持ちかけたり、誰かから「YYやりましょう」と持ちかけられたりすることはたくさんあったが、思い返す限りそのどれ一つとして大成しなかった。というか始まりもしなかった。なぜか。
単純に始めれるのであれば、自分か相手がもう始めているからである
まだ始めていないのに自分以外の人間に「やろう」と持ちかけるのは、次のような状態である
実はそんなにやる気がない。
自分一人ではできない。というかほとんど相手にだけやってもらおうと思っている。
要するに「やろう」と言っている人にそんなにやる気がない、できると思ってないのである
しかし世の中には実際に一人ではできない物事もあるので、そういう場面では気持ちの入った「やろう」が存在するはずなのだが、なぜか自分はそういうのを見たことがない。なぜだろう。
振り返ってみると、その後継続したり大成したプロジェクトの始まりは、はっきり言ってよく思い出せないことが多い。
よくわからないがすでに始まっていた、というほかない
プロデューサーの仕事は座組だと言われるが、「やろうやろう」と言って大きな物事を成立させられる人がいたらたしかにすごいと思う
自分は人に「やろう」と持ちかけて何かがうまくいった試しが無いので、もうそういう理想は諦めて何でも勝手に始めるようにしている
勝手に始まっていると、とりあえずやることは生まれるので特に先のことを考えることは少ない
一大プロジェクトではないので、特に誰からも文句は出ないので楽である
しかし橋を架けるとかダムを作るとかは勝手にやってはいけないので、そういうのはどうやって始まっていくんだろうと興味がある