あとで書けばいいのでは
一般的なブログシステムには、あとで書くという機能はない 普通は「下書き」「公開」というという2つの状態があって(もしくはTwitterのように「下書き」もない)、文章というのは常に完成された状態で公開されている
一方で、Wikiのような不特定多数が使うことを前提とした情報共有システムは、一つのページの情報が何度も人の手によって更新されるので、公開はされていても完成という状態はない
Scrapboxは、もともとWiki的システムとして発明されたという経緯があるので、ページに完成という状態はない
僕はScrapboxの前身であるGyazzというシステムから含めて6年以上使っているので、Scrapboxの使い方をよく知っているし、いろいろな新しい使い方が発明されるのを見てきたし、また発明してきた
その中でも「あとで書く」というのはScrapbox的使い方の極みであると思っている
というのも「あとで書く」というのは別に奇特なことではなく、ちょっとしたアイデアや持論を持っていて、それを文章としてまとめる気があるぞという表明でしかない
実際に行うのはそのタイトルの空ページを作って置くことである
これは難しいことではないし、特別なことでもない
しかし、その「あとで書く」ということで一旦の公開を見たページが、その他すべてのページと同列に並んでScrapboxを構成するというのが、通常のブログやWikiシステムと一線を画すことであり、革新的な機能の一つである
Scrapboxを人に説明するのは難しい
WikiだといえばPukiWikiとどう違うのか説明しないといけないし
ブログだといえばブログとどう違うのか説明しないといけないし
情報共有システムだといえばQiitaやConfluenceと何が違うのか説明しないといけないし
同時文章編集エディタだといえばGoogleDocsと何が違うのか説明しないといけない
アウトラインエディタだといえばマークダウンと何が違うのか説明しないといけない
これははっきり言えば馬車しか知らない人間に自動車を説明するようなものだ
Scrapboxは上記のシステムの一部を内包してはいるが、総体としてはまるで別のものだ
通常のブログやWikiシステムでは、機能としては「あとで書く」ことが可能だが、心理的にはそうではない
ブログは人に見せることを目的としているので完成した文章として公開されているのが普通だし、Wikiも個人のものではないのでからページはモデレーターによって無慈悲に消されていく
だが、こういったことは本質的ではない
人間が物事を考えてそれを言語化するというのは、今の時代コミュニティ(=リソースを共有する他者)の都合に邪魔されるべきではない
「あとで書く」ということは言い換えれば「いまはまだ本腰を入れて書く時期ではない」ということで、その時点で大方の論は定まっているが、あと一歩定まらない、まだ早い、もしくはエネルギーが足りないことを表している
これがとても重要で、あとで書くことをページとして残しておくことで本当にあとで書くことになるのだ
現に、これを書いているのは2018/11/5だが、このページを作ったのは少なくとも半年以上前だ
Scrapboxが「あとで書く」ことを心理的に可能にしているのは、編集モードというものがなく、