2024年12月6日
昨晩は予備審査会の後処理のことがどうしても思い浮かばれて、なかなか寝付けなかった。7時半から日本CTO協会の理事会。眠い。協会の方針も、これまでの技術責任者的な立ち位置(技術とエンジニアリング組織が責任のスコープ)としてのCTOから、経営者としてのCTOを増やしていくという方針に大きく変わりつつある。自分自身も課題に思っているところである。
母親の古希を祝いに京都へ。リトルKの昼寝の時間に合わせて新幹線を予約したのだったが、眠そうにしているのになかなか寝つかず、わーわーいっている。名古屋あたりでようやく眠りについた。京都までそんなに時間もなく、昼寝が足りていない。その後も機嫌が悪い。このところ、だいぶ母親への甘えが強くなってきているように思える。
Kが花などを買いにいっている間、部屋でリトルKと遊ぶ。部屋のあちこちをひっかきまわして遊んでいる。ものを壊したり危ない状況になりそうだったりすることの他は、ある程度自由にさせておく。
ホテルオークラ京都の桃李へ。オーセンティックなホテル中華という感じ。個室をとっておいてよかった。ここでもあちこち落ち着きなく動き回っている。母親とは、夏に京都で鮨を食べにいって以来。転職と転居も終えて、順調にやっているようである。健康面も特に問題なさそう。食事をしながらあれこれと話す。リトルKは、最初は人見知りしていたが、やがて「ばあば」と呼ぶようになった。まだちょっとかまえていそうではあるけど。
リトルKを寝かしつけながら、こんなことを思う。これまでどうしようもなく一切皆苦のただなかにずっと生きていると思ってきたのだが、そもそも苦に対して無自覚であることはもとより、そのように感じること自体もまた、自己への固執による無明のなせることだと感じられた。常にずっと、慈悲が自分をとりまいていたというのに。本来自分にもまたそうした心持ちがあったのである。リトルKやKに対しても、心からだいじだと思う感情がわく。
問題は、そういう「慈悲」が長続きしない、ついつい無明に還ってしまうことである。どうしたらいいのだろうか?ということを、帰り道に考える。もっと身体的な水準に落とし込む必要がありそうである。やはり瞑想をあらためて習慣化するべきか。
寝かしつけた後、少し外出。予備審査会の質疑応答をまとめ始める。昨晩まではかなりきつい気持ちだったが、じっくり取り組めばやりきれないことはないはず、という気持ちになってきた。ホテルに戻って、ロビーで日記を書いたり、質疑応答まとめの続きをやったりする。質疑応答と論文への加筆修正の方針をまとめて、先生方にメールした。スケジュールがぱつぱつなので、どんどん進めていかなければならない。その点については、こちらからも押し込んでおいた。
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