2024年11月29日
今日は一日在宅.ちょこちょこ仕事をしつつ,博論スライドの続きをやる.今日,明日と夜は飲みの予定が入っているし,明日はイベント登壇なので時間が取れそうにない.明後日は朝からゼミで,そこで先生にスライドをレビューしてもらわなければならない.とりあえず,書くべきことはほぼ書いた状態まで持っていけた.ギリギリだったなあ.というか,もっと集中してやれば早く終われたはずだが,ちょうどギリギリになるまで延ばしていたというだけである.
こんなことをXにポストした.
関心を広げるのは難しい。まず、関心がないことに対して、そもそもないこと自体、つまり認知の外に気づくのは困難である。また、気づいたとしても、そのことに興味がないから、つまらないから関心を持たなかったのだと、対象のせいにして認知的不協和を解消してしまう。そもそも関心を一定の範囲に留めることには、認知コスト的な面でも合理性があるのは当然である。また、ハーバート・サイモンの満足化原理がいうように、関心の範囲内での最適化を、客観的に考え得る目的関数の最適化と同一視する、限定合理性という傾向もある。
では、関心を広げるにはどうしたらいいのか。まずは、関心の制御とは修練によって身につけられるテクニックの問題だという前提に立つことだろう。とすれば、修練を怠れば、関心を広げることも、逆に効率を高めるために一時的にフォーカスすることも、上手くやるのは難しい。どのような修練が必要なのか。関心を広げることがなぜ難しいかについて述べたことの反対をすればよい。思いつきではない客観的な選択肢をサーベイする、興味の有無や個人的な判断を度外視する、認知の外にあることに気づけるようなフィードバックを得る機会を求める。
こう考えてみると,簡単なことではある.ダイエットするには,摂取カロリーより消費カロリーを大きくすればいいという,ごく簡単な原理と同じである.一方で,同じ理屈でいうとたとえば会社経営はコストより売上を大きくすれば利益が出るということになり,見かけ上は同じぐらいシンプルである.ただ,個人の取り組みと異なり,会社は社会であるから,同じようには行かない.そういう意味では全然違う話である.さらに考えを進めると,個人は社会とは異なり,自分次第で制御可能である前提があるのだろうと思う.しかし,それは本当だろうか.そうでないから,ダイエットのようなごく簡単なこともままならないのである.
夜は,長く一緒にやってきた人の送別会.
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