2024年11月20日
昨晩は,寝る前にAivis ProjectというAI音声合成に関するプロジェクトが発表されたのを知り,遅くまであれこれ試したり,技術検証をしたりしていた.このジャンルもいよいよ実サービスとして盛り上がってきたなあ. リトルKは昨晩から咳き込みがあり,今朝は小児科で問診,書類を書いてもらって病児保育室へ.発熱しているわけでもなく,元気ではある.自分も子供の頃,喉の苦しさはない空咳みたいなのが出続けていたことがあったので,似てるのかも.
今日も面接を2回しつつ,新規事業関連のミーティングなど.新しい取り組みができそうで,楽しみ.ビデオ会議で話していて,別のことに気を取られてしまって話の流れが追えなくなってしまったことがあったので,気をつけなければ.
博論の概要や細かいところを手直しして,いったん「草稿」として予備審査の審査員の先生方に送付した.
AIが人間を凌駕するほど発展したとして,そうなった時に人間はどうなるのかという議論がある.もしそういうことが起こるのであれば,人間がペットに対してどう扱ってきたかということが類比的に考えられるように思える.例えば猫は,愛玩するために交配によって様々な姿が作られてきた.犬は,人間に対して従順で役立つような個体が選択されてきた.基本的な線としては,そういうことが考えられるだろう.
一方で,それらの動物と比較すると人間には社会があるために,もう少し進化の過程が複雑で,行動予測も難しいかもしれない.すごいAIならそれでもある程度「飼い慣らす」のかもしれないし,そうできないのであれば単に排除の対象になるのかもしれない.
過程をもう少しつぶさに考えてみると事態はより複雑になるだろう.人間の初期=現在の挙動としては経済的利益のためにAIを頑張って高度化しようとしているし,もう少し先の段階ではよりAIに対して踏み込んで「役に立つ」挙動を取ることで生き残りが図られるのかもしれない.AIに何らかの目的が発生するかどうかはわからないのだが,おそらくは人間の挙動とともにそうした目的が複数創発し,AIと人間は相補的に「進化」しつつ,目的別のグループ間での大きな争いが起こるだろう.
むしろAIにおいて「目的」を創発させる存在として人間が取り込まれていくという可能性も考えられる.完全なマインドアップロードみたいなことは,SF的には面白いが,技術的にも困難だしそれをするメリットも(面白いという以外には)あまりないように思われる.それよりは,人間が何かビジョンなり野心なりといった未来の姿を描いて方向性を作っていくという機能をAIに対してよりダイレクトな形で取り込むために,人間が機械に繋がれるということはあり得る.そのことでAIと人間の融合が果たされ,次の人類が生まれるのかもしれない.それはもはやホモ・サピエンスではないのだが.
里見龍樹『入門講義 現代人類学の冒険』を読みながら,そんなことを考える.後世の人類学者から見た,上記した過程における歴史人類学みたいな構想を抱いたりした.別に突飛な発想でもあるまい.SFにそういう話はいくらでもありそうに思えるし,ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』には,読んでないけどそんな感じのことが書かれてるんじゃなかろうか. ----