2024年10月14日
松本亘正『超難関中学のおもしろすぎる入試問題』を読む.たしかにおもしろい.パッとは答えが出てこないのも多く見られた.というか,小学生がこんな問題を回答できるのか?と思えるようなものが多くあった.一方で,そのようなおもしろ問題ばかりがでるのか,普通の問題の中におもしろ問題も含まれるのか,問題構成の全体像がわからないので,どう判断したらいいのかわからなかった. 子の教育についてはKとも話すことがあるが,自分は受験勉強のようなことに消極的である.好きなことをやればよい.Kもおおむねそんな感じ.ただ,周囲で話題になることも多いし,社会に対する関心として受験業界のあり方自体には興味がないわけではないので,知ってはおきたいというぐらい.上述の本で紹介されていたような問題について考える機会を得られること自体はよいことだろうと思う.
今日も天気がよい.というか,暑い.日陰だとちょうどいい感じ.近場に出かけてランチ.KとリトルKは先に出かけて,イベントに参加して楽しんだようであった.帰宅して,リトルKと遊ぶ.XGの動画プレイリストを流しながら,歌って踊ったり,おもちゃで遊んだりする.リトルKは,買ってもらったパズルを熱心にしている.わりとすぐに慣れて,できるようになってきた.形の認識はできても,指の扱いがまだぎこちなくてうまくハマらず,「かわりにやってくれ」と手渡そうとすることもある.あきらめがはやい気がするので,自分でやるよう促す.
リトルKは,この頃ご飯をあんまりちゃんと食べないのが困りものである.一方で,この数ヶ月は寝つきがとてもよくて,添い寝していたらわりとすぐに寝つく.寝る前の歯磨きをいつも泣いていやがるのだが,歯磨きに関する絵本は好きでよく読んでくれといってくるので,今日も読み聞かせた「はみがきれっしゃ」を真似てみたら,笑っていた.関連性をわかってはいるみたいである.
ダロン・アセモグル,サイモン・ジョンソン『技術革新と不平等の1000年史』を読み始めたところだったのだが,ちょうどその著者2名を含む3名がノーベル経済学賞を受賞したという報道があった.現在起こりつつあるAIによる技術革新のこの先について考えてみようと思い,買ったもののKindle内に積んであったのを掘り起こしたのであった. ただ,これまでとAIの流れとは違う感じになる気もするなあ.情報技術はものすごくフラットなもので,かつ,もっとも大衆的な技術がもっとも高度なものであったりする.インターナショナルな需要を広く薄く調達しないと成り立たないほど高度化が進んでおり,個々のプレイヤーがお金を積めば高度なものを使えるというものでもない.AIについては国防的な観点もあるから各プレイヤーが独自に囲い込みたいということはあるだろうけど,継続的に運用するには上述の理由から大衆的な利用を避けることはできなくて,exclusiveというよりは広くavailableなものとして薄く広く活用されるものにやっぱりなっていくんだろうと思う.
父親が今の自分の年代だった20年ほど前の頃,どうにもあやふやな知識で話しているなと思えることが多く,聞き流すことが多くなった.その原因について,酒飲みになって大人になってから勉強しなくなったからだと思っていた.この頃,自分もまたあやふやな知識で話していることを自覚することが多くなった.話の筋としてはおおむね通っていることもあれば,詳細な知識の不明瞭さが話の筋を損なっていることもある.LLMによる「ハルシネーション」という現象が知られるようになって,これはまさにそれだと思う.個別の知識が摩滅していき,しかし抽象的な理解自体は薄く残っているからそれで話はできるのだが,詳細にみれば筋の通らないことを話してしまうということなのだろう.別に物知りである必要はないのだから有用なことをいえればそれでいいといえばいいのだが,ハルシネーションしがちであること自体については自覚しておく必要があるだろう.また,知らないことについては知らないというべき文脈ではそういう態度を堅持することも必要だろう. ----