計測の時間
持続に対して、「純粋でない継起」すなわち 主観的には時間概念。 「計測」によって現実から抽き出された時間は、どこまで行っても複数の運動の比較から、それ自体は運動ならざる数量比を取り出すにとどまって、一つの運動がまさに「動き」であることをいつまでも教えない。計測の時間は、それだけでは、どこまでも現実に接地しない。
言葉に、単語間の相互関係からはでてこない一人称的な「理解」の側面があり(記号接地問題)、それによって言葉が現実へと接地できたように、時間にも、時計が測る相互関係を内側から満たす、具体的な実在の側面がある。 時間が私に「体験される」という一人称的な場、これをすなわち「持続」と呼ぶ。