2024-12-05: 勤続10年エントリ
2024年の8月でGMOペパボで10年働いたことになった。前職は7年働いていて、大学(院)よりも長く同じところにいたわけだが、それを越えて今の会社が一番長く所属している組織になった。
特にやめる予定もないので、せっかくなので勤続10年エントリとして10年をふりかえってみようと思う。
2014年
いわゆる転職エントリを書いてた。
入社した直後は技術基盤チームのシニアエンジニアとして、hsbtの手がまわっていないRubyプロジェクトのライブラリのバージョンアップとか、当時の新規プロジェクトであったカラーミーショップの「新しいショッピングカート」のエンジニアとして開発に取り組んでいた。今年、ついにでそれまでに使われていたカートシステムを完全にクローズできたのは感慨深いものがあった。 ちなみに、同日入社は@hisaichi5518で、2週間後にはみんなでコンテンツとして借り出されていた。(YAPCのノベルティかなにかだった記憶) https://gyazo.com/98cbf9e8104327decbe958bcbf2254ab
2015年
昨年から引き続きカラーミーショップのプロジェクトに関わりながら、下期はブログサービスであるJUGEMのプロジェクトを手伝ってたようだ。この頃、社内ではOpenStackのやっていきが高まっていたので、新しいショッピングカートをOpenStackでリリースするぞ!とインフラまわりのいろいろをやっていた。
「リリースはプロダクトオーナーがやるべき」と言って、当時POだった@getsukikyu がエンターキーを押す瞬間をみんなで見守るイベントなどがあった。 (↓は画像です)
https://gyazo.com/508f8e2af4fe1065485941fb88e550a1
このころは、技術基盤チームが全エンジニアの技術力の評価をしていたので、ペパボの先輩達にまじって評価面談のやりかたや、どういう観点で技術力を評価するのか、その人のよさの引き出し方などを学んでいた。今でも役にたっているように思う。
技術以外のところだと、せっかく事業会社にいるんだからプロダクトマネジメント力をみんなで高めようと勉強会をやったり、その流れでいろいろなコミュニティに顔をださせてもらったりした。なつかしい。
そういえば、スタックオーバーフロー主催でジョエルが来日するイベントがあり、そのトークに申し込んだら無事通った上に、前日のスタッフとジョエルのご飯にまぜてもらってサインをもらったのもこの年だ。
2016年
2016年は心機一転、tetoteというハンドメイドマーケットを運営していたOCアイランドという会社がペパボグループにジョインしたので、「そこに乗り込んでいいかんじにしてくれ」と言われ四苦八苦していた記憶。ここでの経験は今でも思いだすことがあって、よかった面と反省が沢山ある。バリバリ開発をやるわけではない働き方はこの頃からはじまっていたのかもしれない。
そして下期はペパボに戻ってきてチーフテクニカルリード(今の事業部CTOの原型)に就任することになる。
それまでは、基本的にはantipopとhsbtが部門を横断して技術全体を見るという体制だったが、それぞれの部門の組織も大きくなってきたので各部門に技術の責任者を置くという意思決定がなされたようだった。 ここまで半年くらいでやることがコロコロ変わっているわけだが、技術基盤チームの集りや、個別に上長二人に呼び出されて「次はこれね」ってかんじで言われるので、「とりあえずやってみるわ。二人が自分がやるべきというならやったほうがいいんだろう」という気持ちでいろいろ取り組んでいたように思う。
https://gyazo.com/2609698a3136031d0b85a5ad6ed2a30c
(左のマネージャも、右の部長も今はいない!)
2017年
当時は、Engineering Managerという言葉も今ほど一般的ではなかったので、技術の責任者って言われても何をやればいいのかと、メンバーとの1on1で技術・組織課題を吸いあげて、それをなんとかするというのを繰り替えしていたように思う。
そんななかでも、カラーミーショップのAPIを拡充してエコシステムを作りたいというのを部長やマネージャと話して進めようとしていたが、なかなか難しかったなぁ。いまはカラーミーショップ アプリストアとしてなんとか形になっている。 他の部門にもCTLが産まれたのはこの年。
https://gyazo.com/53d4e7c17fc68ad5d0d68d7584155a49
(真ん中の人しか残ってない)
2018年
2018年は本当に大変だったのであまり記憶&記録がない。ただ、このときの経験は今の自分の礎になっているように思う。大変だったけどありがとう。
2019年
たしかこのくらいのときに「チーフクテクニカルリード」のラインに「テクニカルリード」という職位が産まれたような。エンジニア組織の運営体制を強化するため、今も活躍してくれているメンバーをCTLの右腕として任命したのもなつかしい。
技術的なところだと、サービスの可用性を高めるためにパブリッククラウドの利用を本格的に検討しはじめたところで、ログ基盤としてBigQueryを使いはじめたのもこの年だった。それ以外ではカラーミーショップのデータベースをなんとかしようと、yoku0825さんと繋りを作ってコミュニケーションしはじめたっぽい。
社内ハッカソン「アプリ開発ウィーク」を企画して実行したのものこの年だ。当時アプリストアがローンチしたてだったので、とにかくアプリの数を増やそうと社内アプリを1週間で3?4?作るというのをやっていた。こういう開発の仕方もいいよね。
https://gyazo.com/6464741029af0aa9023485132c7cffeb
世の中の情勢としては、エンジニアリングマネジメントという領域が広く知られてきていたので、社内で「エンジニアリングマネジメント勉強会」という読書会を主催していた。いろいろ形をかえて2022年くらいまで続けていた気がする。
2020年
この年に「チーフテクニカルリード」が「シニアエンジニアリングリード」とrenameされ、それに併せて会社の職位制度上も「マネジメント職(の一部)」とされた。それによって、これまではエンジニアとしての技術力のみで評価されていたものが、マネジメントスキルも評価に入ってくるようになったのだ。
このころは、リアーキテクティングによるインフラコストの削減と、可用性の向上に取り組み続けていた。で、そろそろやるべきだろうと、カラーミーショップのメインDBのAmazon RDS移行を実現するための検証をはじめていた。
https://gyazo.com/4b2119b17ff6776ba2e0216a53646b06
(新型コロナウィルスが猛威を奮っていたので、VR空間上に作られたオフィスそっくりのスペースで寿司を眺める人達)
2021年
この年のバリューはなんといってもメインDBのRDS移行。当然一人でやったわけではなくて、tnmtやグループ会社の方に手伝ってもらいながら、なんとか大きな問題もなく移行できた。これによってDBの可用性は一定のレベルになったので、じゃあ次はパフォーマンスだねと「落ちない!はやい!だから売れる!カラーミーショップ」というスローガンをかかげてパフォーマンス改善に取り組んでいた。 当時、カラーミーショップは障害が多いという印象をもたれている方が多かったので、安定したサービス提供のための改善レポートという形で障害の原因と対策を公開しはじめた。残念ながら今はとまってしまっているのだけど、目に見えにくいエンジニアの仕事をサービスの価値に繋げられないかと考えての策だった。あとは、表に出すとなると原因究明をちゃんとしないといけないので、ポストモーテムのレベルも上がったように思う。 下の写真は、フィヨルドブートキャンプさんが毎年開催している「角谷トーク」というイベントのパブリックビューイング会場の様子。自分の副音声付きで見ようという企画をたちあげたらあつまってくれた人々。話していることの背景や、自社で言うならどういうことかってのを補足しながらみんなでわいわいできて楽しかったな。あらためて、アジャイルなソフトウェア開発、XPが好きということを再確認できたイベントだったと思う。
https://gyazo.com/ce28a265358c69baf12ed9d9d5276cd5
2022年
引き続き、カラーミーショップの可用性を向上させるぞ〜、クラウドネイティブなアーキテクチャにしていくぞ~と思っていたところでhsbtの退職である……!正直、最初に聞いたときは本当によくわからなかった。いや、当然起こりうることではあるんだけど、まったく想定していなかった。 その後の体制などを話していくうちに、「お前は技術責任者としてVPoEの担っていた役割の一部をやるように」ということになったので、ここでもまた「二人がそういうならやってみよう」と挑戦をすることに。
こうしてふりかえってみると、本当に飽きさせてくれないというか、次のチャレンジを次々と渡され、なんとかこなして(?)今があるのだなぁと思う。自分もそういう上司でありたいと思う。
「技術責任者」ってなんなの?というのは良く聞かれるのだが、今のペパボはこんな役割分担になっている(と思う)。
「CTO」は全社のテクノロジーのトップ。エンジニアだけではなく、会社全体の技術の方向性を示す。
「技術責任者」はエンジニア組織のトップ。技術組織のマネジメントと会社の技術プレゼンスに責任を持つ。
会社の制度としては、今のCTOは取締役で、技術責任者は部長相当である。VPoEだったhsbtは執行役員であった。 というわけで、思いもよらない新しい仕事がはじまったのが2022年だ。
https://gyazo.com/f129e24d44165c873f18d3cfc04609c8
2023年
技術責任者とEC事業部のシニアエンジニアリングリードを兼任することになる1年。「兼任は悪」と言われるが本当にそう。できることならやめたほうがいい。でもしょうがないときもある!
この年は初めてのことばかりで、もちろん失敗もあったし、もっと上手くやれただろうと思うことばかり。
経営会議にアドバイザーとして参加(議決権は無し)
予算を執行する権限をもらう
経営合宿的なものへの参加
各部門の部長との1on1など全社のエンジニアリング組織の課題把握
制度のアップデートの提案
技術責任者としての最も重要な仕事は、当然だがafter hsbt時代のエンジニア組織を作ることであり、そのためにシニアエンジニアリングリードという役職のアップデートをしようとしていた。具体的には、より部門の経営メンバーの一員としての期待をこめて「事業部CTO」とrenameすることと、それに相応わしい職務を定義することだ。
で、結果的に職位を作ることはできたが、「事業部CTO」を任命することはできなかった。これが本当に「もっと上手くやれただろう」と思うところである。
https://gyazo.com/bbb20427a0386bbaef5de685e7aaecca
(技術責任者の仕事は多岐にわたる)
2024年
昨年の反省をいかし、2月に2名の事業部CTO(kurotakyと私…)を任命、さらに10月にはもう2名takumakumeとyammerjp を任命することができた。yammerjpは私の後任としてEC事業部の事業部CTOになってもらったので、ついに技術責任者と事業部CTOの兼任を終わらせることができた!うれしい!これでなんとか、after hsbtのエンジニア組織の形を作れたのではないかと思う。 一方で、エンジニア組織のプレゼンスの向上というところはなかなか上手く施策を動かせていなくて、今もとても困っている。技術広報、採用広報、テックリクルーターなどなど、そういうところに興味がある方、一緒にどうですか!
https://gyazo.com/97875d6ae199640c1524b7c3967471b1
(年末のイベントでの一枚。pyamaさんのGMOティーシャツも見納めか) おわりに
さて、こんなかんじで全然飽きずに10年働けてしまったし、もう来年の新しいチャレンジも決まっていたりするので、まだまだペパボで働き続けると思います。それでは勤続10年エントリでした。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。