Untitled
1,
ある個人や特定集団の問題を、『他者にその「問題」を共有したりとか,一緒に考える「べき」』かどうか、ということは、簡単に判断できない。もちろん、単なる個人的なことでしかないという場合もあるが、言わずもがな「The personal is political」なので、個人の性欲に関する「問題」が他の多くの他者にも共通して当てはまったり、あるいは別様に多様な形ではあるが共通軸があったり、ということは考えられる。そこから何かしらの社会問題や不正義につながる関連が発見されることもあるだろう。
セクシュアリティのことだからといって、特に、ヘテロ男性のセクシュアリティのことだからといって、「個人的」なことにすぎない、と一蹴することは妥当ではない。
社会問題や不正義の問題になりうることについて、そこで「被害者になりうる者」とされている女性(だけ)が(率先して)考えるべきとか、困っている当人の男性たち(だけ)が(率先して)考えるべき、みたいな主張も、誤り。
2,
災害時の(男性の)性欲処理をどうするか、という話は、災害時だけでなく軍事の際についても、もう既に一定の議論蓄積があると思うので、参考にすれば良いと思う。(具体的な良書おすすめなどは、けむしはあまり詳しくないが。)「男」と言うときヘテロセクシュアルが前提になっていたり、性欲の「暴発防止」のような言説の誤りや問題点もそこに指摘済みだと思う。
一方で、「非常時」の際、被害地域・避難地域で社会やhomeが通常運営できなくなっている際に、どのように安全に「性的行為」の自由を保証できるか、ということは、SRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)の観点から課題になり得る。例えば、(社会で想定されにくい)女性のマスターベーションから、(社会で推奨されやすい)夫婦間のセックスまで、非常時に生を優先させつつ性をできるだけ平等に自由に保証するにはどのように、という論点は、万民が議論すべきことだと思う。これは、性的欲求の充足それ自体がセクシュアルヘルス上の課題だというよりも(もちろん含まれるとは思うが)、それについて何も議論しない・実行しないということが、現地での混乱・事故・(「暴発」ではない)加害行為、誤った言説の拡大や、現地のデマが現地以外で広まったり、といったことを生むため、課題に挙がってくる、という捉え方をけむしはしている。
災害時の性の話の中で、災害時のヘテロ男性の性欲処理の話だけが盛んになされている、というこの偏った状況の中で行うべき行動は、問題の個人化や公言の封圧ではない。
3,
もちろん、『ぼくも一応ヘテロセクシュアルな男性ですけど,全く不要だし一度も気になったことない』『少なくとも「ぼくの問題」ではありません』という筆者の立場から、『「俺たちの問題」と言われちゃうと心外』という指摘は理解できるし妥当。
ただ、アセクシュアルでない男性が、性欲処理(や他者に限らない「捌け口」)について一度も気になったことない・悩んだことない、というのは、それ自体が何か特別なポジション(立ち位置)の産物という気もする。(つまり、運よく良質な性教育を受けたとか、性的パートナーがいて/いなくてたまたま問題もないとか、男性は女性と異なり性欲を無化されないとか、。)ゆえに、『性欲処理に悩む?爆発する?そんなバカな,と思います.』と感じる自身のサンプル1を普遍的に考えないほうが良いと思う。
4,
以上を踏まえると、
『性欲の処理に困るとか,どんだけ頭の中がセックスのことばかりで占められちゃってるんですかね.普段そんなこと意識の外だし,ほとんど完全に忘れてますけども.……「ものすごく」きもいです.』
『そんなにみなさん頭の中がセックスのことでいっぱいなの?いや別にいっぱいでもなんでもいいけど,その捌け口に困ってるんだとしても,他者にその「問題」を共有したりとか,一緒に考える「べき」みたいなことを公言したりするのって,きもいを通り越してもはや自分は虞犯者であるって自白に近いと思うんだけど.』
この記述は、セックスシェイミング、slut-shaming的であるだけでなく、
おそらく「虞犯者」というのは、自分だと性欲処理に困って「暴発する」(女性に加害する)と言っている人に対して言いたかったのかと思うが、「AVやエロ本」と書いているように本来「捌け口」は他者以外もあるのだから、非常時の性的行為についてのことは共有・議論されるべき社会的問題である、と述べるだけで「虞犯者」扱いするのは端的に不当。
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『この文脈でそのように一般化して話されてしまうことに対する嫌悪感を書いたというのが実際です.』
『「俺たちの問題」として連帯責任を負うことには納得ができない』
『元Tweetの書き手のような「性欲」観を一般的であるように言われるとそれはやめてくれって』
『……などなど,幾つもの点で懐疑的で,そのため,ぼくが引っかかっているのは,かんぴんたんさんやけむしさんの懸念している部分とは多分違うんですね.』
上記3で書いたように、「俺たち(男)の問題」として、「我々」カテゴリーを使って一般化することの誤り・罠については、批判は妥当だろう。しかし、上記で指摘した不当な部分なしでも、そうした批判は可能である、ということをけむしは指摘しているに過ぎない。懸念点がてのりんさんとけむしで異なる、ということではないと思う。(異なっていたとしてもあまり今回のことには関係ない。)
かんぴんさんが言う、『強い性欲やそれを発散したいと思う欲求をシスヘテロ男性性と結びつける風潮やその強化』というのは、てのりんさんへの批判ではなく、元ツイへの批判かと思うのだが。
「実際に性的欲求の抑えられない人々の存在を考慮に入れてない」じゃないか、という批判はけむしもかんぴんさんもしていないと思う。
上記2で触れたように、てのりんさんが参照した元ツイは複数の誤り・問題を含んでいるので、災害時の性の話を議論する際に、『元Tweetのような考え方を元にして』議論を構築する必要はない(すべきでない)と思う。(批判対象として『取り上げる』ことはできるだろうが。)
『元になったTweetのような,あたかも「ポルノがないと性犯罪が増える」とか「シスジェンダー男性の抗いがたい性的欲求の発散の機会のないことによって,それが他者(例えばシスジェンダー)女性に向くためレイプなどの性暴力が発生しやすい」などの,一見議論のように見える言明ってものの内実を見ていったときに,そこで言われる「性的欲求」というものが,果たして本当に性的欲求であるのか,セックスへの欲求というよりも暴力ではないのか,原Tweetの書き手の主張するように本当に「ポルノ」や「慰安婦制度」によって性欲がコントロールできるのか,などなど,幾つもの点で懐疑的で,』
それが性欲なのか暴力欲なのか、ポルノや慰安婦制度で性欲がコントロールできるのか、という点以前に、そもそも「生命の危機になると本能で子孫を作ろうとして性欲が増す」、「ポルノがないと性犯罪が増える」というのが(科学的)事実なのか、「性的欲求の発散の機会のないことによって,それが他者女性に向くためレイプなどの性暴力が発生しやすい」というのが事実なのか、を検討すべき。(けむしはどれも根拠不十分で証明されていない仮説だと思う。)仮に「性欲の発散の機会」を設けるにしても、ポルノを用いた/用いない自慰などいくらでも方法は考えられるのに、「災害慰安婦」など言い出しているのがよく分からない。
元ツイ主がフォロワーが多い人なのか知らないが、てのりんさんがフォローしてるツッコミ主も含め、低質な言論を元に考え始める・議論を構築するのは望ましくない。けむしのようなまともな言論活動家はまともな問いの立て方を知っているが(自画自賛)、どういう問いから考え始めたらよいか、について、参考にする人は選んだほうが良いと思う。(ちなみに、バズったダメなツイに絡めて、引用RTで話を始める、というやり方は、けむしは有害性のほうが多いと思う。活動家はもうやめたほうがいいと思う。けむしはSNS自体やめているが。)
元ツイ主は典型的なダメな例だと思う。性欲処理に困っている男性当事者の経験から考え始める(基づく)わけでもない、『過去の被災地で横行した性暴力について知っていれば、割とこの辺の話は冗談じゃないと思ってます』とも書いているが、被災地の性暴力被害の現場・当事者のニーズから出発しているわけでもない。「男はこういうもの、女を男から守らなきゃ、そのためには『相応の女』をあてがう」というマチズモの王道に沿って、勝手に「タブー」を作ってそれを破るのに快感を得ているだけ(「タブーも議論できる自分すごい」)。「災害慰安婦」とか言っているが、セックスワーカー当事者のニーズから出発しているわけでもない。
元ツイ主は、自分が男性だったら、性欲処理を自分事としてそこから出発するか、あるいは(噂ではない)被災地の現場・性暴力被害者の実際を傾聴することから出発するべき。当事者を軽視してはいけない。女性を代弁して、女性を守る俺、という構図に気持ち良くなっている場合ではない。